カテゴリ:洋画( 258 )

ニューシネマを現代風にアレンジした快作だと思います。
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2235さんよりリクエストいただきました。ありがとうございました。



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面白いけど脚本をもう一歩。それで二十点は上がるはず。
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サイコパスってだれのこと?
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golow5060さんよりリクエストいただきました。ありがとうございました。



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What is a wonderful life?
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スパイシーなヘルシーメニューですね。
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豆村さんよりリクエストいただきました。ありがとうございました。



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久々にどっぷりと入り込みました。
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コーエン兄弟の直球
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マインド・コントロールについての興味深い一品
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あなたの思い出を、超えましたか?
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いわゆるハリウッド映画にはぜんぜん興味なくなっちゃったなあ、とこの前書いて、実際に観てみたらどんなもんなのだろうかなあ、と思って、映画秘宝の昨年第一位、夏休み映画としても大反響だったらしい、『パシフィック・リム』。

 結論から先に書くと、うん、やっぱり駄目ですね、うん。

 いやいや、変な噛みつかれ方をされたくないので言っておきますと、作品が駄目なんじゃないんです。受け止めるぼくのほうがやっぱり、今まで通りにED状態なんです。ぜんぜんエレクトしない。昨年の夏は映画好きの皆さんがヒャッホーしていて、だったらぼくの映画インポテンツにも何かしらの効能が期待できるのではと思ったのですが、こりゃあどうにもなりません。みんなが絶賛するハリウッド映画を観てこれですから、他の種類の映画は別としても、こっち系に関しちゃあもう欲情しないニンゲンですね。ほとんど諦めに近い感覚です、ええ。

 町山さんにお聞きしたいですね、彼は本作を激賞しているんです。

 しかし一方では、こうも語っている。

 ぼくは断然後者の感覚で、どうにも本作ではすかっとなどしない。お聞きしたいです。実は以前、当ブログに町山さん本人と思われる方がコメントしてくれて、まあそのときはぼくがちょいと行きすぎた表現をしたためにお叱りを受けたって経緯があったんですけど、また何かで目に入ったら教えてほしいですね。後者的な立場から観て、『パシフィック・リム』はどうなんだってところをね。

 二時間超の映画を観ながらぼくが感じていたのは、やっぱり前に書いたことと同じでね。
「ああ、過去の感動に勝てないやあ」というものなんです。これを中学生くらいに観ていたらもっと違ったと思うんですけど、これじゃあエレクトできないんです。

 バーサス怪獣、あるいはロボットものということで言えば、ウルトラマンがあり、ガンダムがあり、エヴァンゲリオンがありですね。ロボット対怪獣に近しいものでいえばエヴァンゲリオンですけども、どうしてもあれと比べてしまうというか、観ながら繰り返しに感じたのは、ああ、エヴァってやっぱ凄かったよな、ということなんです。

 本作を激賞する方にお聞きしたいのは、「あれ? エヴァ観てるよね?」です。
 全部エヴァでやられてる感じがするんです。本作は二人で一つに乗るってアイディアで、それはエヴァにはないけれど、あの作品ではシンクロ率って概念が出てきてそれがとても画期的で、過去のトラウマでうまく乗れなくなるみたいなのもアスカががっつりやってるじゃないですか。暴走してしまうみたいなくだりもあったし、海中の戦いや深海に潜る話は対ガギエル戦とか「マグマダイバー」の回とか。あのカタルシスの思い出がずっと巡っていたんです。ああ、シンジがハプニング的にアスカと弐号機に乗って、ゼロ距離射撃でやっつけたものだよなあとか、あの火山の中でワイヤーが切れたときのアスカの諦めの表情は絶品だったなあとか。

 怪獣の造型にしても、うん、やっぱりねえ、使徒の思い出があるんです。
 あれで撃たれた世代ですよ、こちとら。怪獣と言えばウルトラシリーズがあって、でもその枠を明らかにはみ出した使徒が出てきて、それにびびらされた。ラミエルとかレリエルとか、あるいはバルディエルみたいなパターンとか。もしくは普通の戦いでも、イスラフェルを二体同時に撃破するみたいなね。エヴァが凄いのは、ウルトラシリーズ由来の怪獣的なものを踏まえつつ、そこから大きく崩してきたところ。考えられる魅力的なパターンを、後代の人間が困り果てるくらいにやってしまったところ。ああいうものの洗礼を受けているとねえ、ああ、なんかつまらないビジュアルだなあとどうしても思ってしまう。

中国を意識してのところなのか、基地に漢字表記が結構あったりしますよね。でも、あれもエヴァであったじゃないですか。新鮮でしたよ、明朝体の漢字がモニターに大写しになっていたりね。それまでの近未来描写とは一線を画しているというか、おお、こんな見せ方があるのかと本当に感心した。あれを思い出すとねえ、うん。

 書きながら見えてくる、という醍醐味を久々に感じながら書いているんですが、結局のところぼくは、「思い出を超えるもの」を求めているのですね。ゴジラやウルトラシリーズがあって、エヴァがあって、その枠をさらに超えるものを求めている。町山さん含め、本作を褒めている人は、「思い出の再来」に歓喜しているのかなあと感じます。かつて観たロボットアクション、怪獣アクションを、よくわかっているデル・トロが、ビッグバジェットかけてハリウッドでつくってくれたー、ひゃっほー的な。うーん、ぼくはそこまで成熟して、「いい大人」にはまだまだ慣れないなあと感じます。だってウルトラマンにはもっと感動したもの! エヴァには本当にびっくりさせられたもの! もひとついえば、ガンダムやその後のZガンダムが見せた構図の複雑さには、心底感心したもの!

 あれ、この感覚何かに似てるなあ、と観ながら感じたのは、『ロード・オブ・ザ・リング』ですね。あれもファンタジー映画界で激賞されて、代表格になっているけれど、ぼくにはぜんぜんぴんと来なかった。ファンタジーと言えばぼくの中で、ドラクエとFFが絶対的なものとして光り輝いているんです。FF6,魔大陸崩壊の影響で世界がぶっ壊れて、だけど再び立ち上がって夕焼けの中に飛空艇を飛ばしたあの日のこととか、えっ、ここはアレフガルドじゃないか、ということは、ここは、そうか、3の主人公こそがロトの勇者だったのか! みたいな世界への感動。遊び人だけが悟りの書なしでも賢者になれるというその心意気。FF9のビビ、えっ、君はつくられた存在だったのか、なんてことだ、えっ、まさかジタンまで! とか、あるいはドラクエ5、そうか、勇者とは自分のことではなく次の世代のことなんだなあというあのメッセージ。あの思い出に、ぜんぜん及ばなかったんです。

 忘れちゃったのかよ、とぼくは思う。
 あのときあんだけ感動したってのに、これで感動できるってのは何? っていう疑問が、申し訳ないけれどぼくにはある。
 
 町山さんが特電で触れていて、宮台さんがかつて述べていたことでもあるけれど、やっぱり映画体験は「観る前と観た後では世界の見方が違って見える」もので、そういうものこそがほしいんですね。かつて観たものはそうだった。今でも強く残っていて、観る前と観た後では、あるいはプレイする前とその後では、どこか何かが違っていた。世界の複雑さだったり、心底からの驚きがあったりした。本作でぼくはそれを感じることができませんでした。逆に皆さん、どこでそういったものを、お感じに? 過去に感じた鮮烈な感動はいずこへ?

 やや喧嘩腰だな、まずいな、久々で加減がわからなくなっているな。まあいいです。反響があったらそれはそれで悦ばしいのです。そのほうが逆にエレクトの手がかりを見つけられるかもしれません。

 嫌われついでにもうひとつ言うと、本作に限らず、「この作品は映画館で観るべき!」みたいな言い方にぼくはちいとも承服できないんです。ウルトラマンにしてもエヴァにしても数々のゲームにしても、取り立てて画質の優れてるわけじゃない14型テレビで、こちとら思い切り感動したんです。それにDVDでもVHSでも、いいものはいいんだよ、感動するものはするんだよ、たとえばAVがそうであるように! 本作を映画館で観ても、やっぱりぼくは大した感動はなかっただろうなと思う。散々述べた理由でね。
 
 ここまで読んでもらえばわかるとおり、ぼくは一切作品を悪く言ってはいないので、そこはわかってくださいませ。ただ、過去に観た作品のあの感動を超えないなあということです。どうなのでしょう。本作は皆さんの思い出を超えているのでしょうか。「だったら思い出の作品を観ていればいい」などと非建設的なことは言わないでいただきたい。それを超えるものを求める、という話ですから。むしろその台詞は、「俺たちの大好きなロボットアクションだぜ!」的な盛り上がりに対して向けられるものでしょうから。

『パシフィック・リム』は、あなたの思い出を、超えましたか?
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これもまた「ゾンデミック」の系譜。あるシーンの元ネタが気になるなど。
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ブードゥー教由来のゾンビというのは、「術師によって復活させられた奴隷的存在」という色合いが強いのですが、ここに「人間を襲う」という発想を加えたのがジョージ・A・ロメロで、ロメロは同時に「襲われた人間もまたゾンビになる」という感染の要素を加味しました。彼は生ける屍に「襲撃者」「感染者」という二つの要素を備え、現代までの主流なゾンビ像を造型したわけですね。

 映画に限らずゲームその他、世界で見れば既に何千単位でつくられているんじゃないかと思いますが、いまやゾンビというのは「蘇った死者」という属性が薄まって、「襲撃者」「感染者」という部分のみが重要視されているんじゃないかな、とも思います。

 というか、きょうびぼくたちがゾンビものに求めているゾンビ的部分というのは、もうずばりそこであろうとすら思うのですね。生ける屍ということはどうでもよくて、とにかく襲ってくる奴、しかも感染の危険がある奴、というこの二つの要素こそが現代におけるゾンビの本質といって差し支えないんじゃないかと思います。

 規模の大きな話にするときはそのほうがやりやすいんですよね。『ワールド・ウォー・Z』にしてもそういうことでしょう。ゲームで言えば『The Last of Us』もそうだし、そのほうがいろいろと都合の良い局面が出てきているわけです。本ブログで前々から「ロメロゾンビの終焉」について述べた来たのはそういうわけだったのです。

 ぼくはこのブログでも前々からゾンビ像について、「のろのろゾンビ」と「ダッシュゾンビ」の対比について書いてきました。そこでも、ダッシュゾンビのほうが好みであると書いてきたわけです。それはつまり、上記のようなわけなのですね。ロメロはダッシュゾンビは嫌いだと明言しているのですが、後続の作り手の多くが欲したのは「襲撃者」「感染者」のほうなのだろうと思います。死者がダッシュするのはおかしい、死後硬直もしているのだしのろのろ動くはずだ、と言うのなら、「だったら死者の部分は要らない」なんです。感染者でいいのです。そういうと「病気ならもっと体調悪そうにするはずだ」とか言われそうですが、「うるせえ、つまらないことを言うな」なんです。素早く動けたほうが面白くなる場合ってあるじゃん、ですから。リアリティがうんぬんということを言うのなら、ゾンビよりも凶暴化する感染者のほうがまだリアリティはあるんじゃないですかね、ふん。

現在では「ゾンビもの」と一言で言っても、それがロメロ的ゾンビを指すのかどうかが難しくなっています。ここはひとつ、非・ロメロ的ゾンビの出てくる作品を指す用語として、「ゾンデミックもの」を提唱しましょう。ゾンビ的ではあるけれどパンデミック性、感染者ニュアンスのほうが強い、という意味合いです。

その系譜をつくったのが『28日後...』でありザック・スナイダーの『ドーン・オブ・ザ・デッド』あたりですね。『28日後...』はゾンビではなく、「感染者」という部分を押し出した点で、ひとつの曲がり角を示したように思います。今回取り上げる『REC2』もその筋ですね。1についてはもう何年も前に取り上げております。近頃はゾンビもの、あるいは「ゾンデミックもの」を観ようと思っていて、いまさらながら2に手を出しました。

 全編がPOVなのは前作と同じです。もうそこが作品の命綱みたいになっていますね。違う言い方をすると、普通の撮り方ではもう何もないようなお話じゃないでしょうか。POVの美点は、ある場面にのみ集約されています。
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 ほとんどのシーンが、感染者に溢れたマンションの中で展開します。時間的には前作の直後から続いていて、「建物の中が大変なことになっているぞ、調査しろ」と特殊部隊隊員四名が乗り込み、専門家のおっさんが同行します。
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 1を観てずいぶん経つので虚を突かれたのですが、この映画はゾンビもの、感染者ものと思いきや、エクソシストものみたいになります。感染の専門家だと思われていたおっさんは実は神父で、教皇庁から特命を受けたらしいのです。この辺が一回ちょっとこの映画をぐだぐだにします。
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 おっさんの話によると、もともとの感染者はある少女で、そいつが悪魔に取り憑かれたのであり、是が非でもそいつの血液をゲットしてこれを解析、感染被害の拡大に対処しようということなのですが、もうなんだかよくわからない。「悪魔に取り憑かれた少女の血液を分析して感染を避ける取り組みに励もう」という目的がなんだかぶれぶれなんです。ウイルス的な何かなのか、呪い的なもんなのか。科学的に対処できるのか宗教的な方法が必要なのか。十字架をかざして対処したりしているので宗教的なのでしょうけれど、そこと「血液を採取せよ」みたいな任務の折り合いがすっげえ悪い。 
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はっきり言ってこのおっさんの言い分をごり押しするがために、物語上の説得力が大いに欠けるのです。任務だから最後までやり遂げるぞとうるさいのですが、どう考えても一旦逃げて体勢を立て直すべきだと思えてしまって、入り込めない。これは「追い込まれもの」の一番の基本だと思うのですが、「逃れようのない状況」をつくるのが土台じゃないですか。どうやっても逃れられないとわかって、さあどうしようという話になる。それが「とりあえず一旦逃げるという手があるやん」と思える段階でもう駄目なんです。嘘でもいいから、あのおっさんに「ちょっと無理っぽいんで一旦帰ります」みたいなことを言わせるべきなんです。で、無線機の向こうから「いや駄目だ。おまえは最後までやれ」みたいな声を届けさせるべき。あるいは絶対にやめられない事情があることを語らせるべき。それだけでもまともになる。それを怠る脚本というのがぼくにはもうわからない。
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 いいところはというと、終盤の「暗闇になると風景が変わる」というあれですね(あれと同じような手法を何かの映画で観た覚えがあるんですが、あいにく思い出せません。だれか教えてください)。あの場面はとても面白かったです。あの辺はもう条理とか理屈を飛び越えて、行ったれーという勢いを感じました。水の中に引きずり込まれたりね。あの方面で膨らませても面白いのになと思ったんです。「目的とする敵は暗闇の世界でしか確保できない」というのを押していけば、この映画は意義深いものになった気がする。そこのダークファンタジー感をもっと前に出せば、宗教的な云々も補強されたのに。

 うーん、先行作品で何かあった気がするんですけどねえ、なんだったかなあ。ゲームだったかなあ。これは気になるなあ。回答、大募集です。
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あの場面に出会えただけでもこの映画を観てよかったなとは思えます。あとは全部ぐずぐずとも言えます。大体の話、ぼくはキリスト教的な神が悪魔を圧するという設定が気にくわないのです。十字架というものの権威性あるいは福音派的な傲慢が鼻についてなりません。いや、それならそれでいい。そっちをしっかりしてくれればそれはそれで受け入れます。ところがこの映画はラスト、え、何なの、寄生虫的な何かなのというこれまた中途半端なイメージを放り込んでくる。どれにしたいねん、という話なんですね。ウイルスなのか、寄生虫なのか、悪魔なのか。あれをオチに持ってこられても、「いや、どないやねん」に近いもんがある。
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 別段にお薦めするものではございませんが、あの暗闇シーンの元ネタをぜひとも思い出したい、ということで、是非観てもらってお教え願いたい次第でございます。
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