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ぼんくらが喜びそうな映画。でも、ぼんくらとして、もの申す。
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更新再開というわけではないんですが、どうしても書いておきたくて。

 町山智浩さんが字幕を監修し、方々でも大評判で、ついには伊集院光さんまでもがラジオで大絶賛ということで、ああ、これはもう大丈夫なんだろう、鉄板であろう、と思いながら出かけたのはシネリーブル池袋。よさげな映画の公開率が東口のシネコンよりはるかに高い。

かなり好評な作品のようです。いまや知る人ぞ知る的な。でも、うん、ぼくはちょっとなんか違うなと思ったのもあって、帰ってきたのさ。みんながいいって言っているようだから、あれこれ言うのは怖いけど、でもものを書くってのはつまりそういうことなのさ。
ネタバレをするから、その辺はよろしくなのさ。っていうか観ていないといまひとつ伝わらないかもしれないのさ。

 アメコミ原作もの。ヒーローに憧れるぼんくら高校生と、若干11歳の最強少女のお話で、それだけ書くとなんだか日本のラノベにも通ずるものがありそうですな。この映画を語ろうとする場合、この二人のキャラクターについてどう感ずるか、という部分がかなり重要になるでしょう。

 ぼんくら高校生デイブはベタベタなギークボーイで、当然モテるわけもないのですが、一方で強いヒーロー願望をもっています。通販で全身タイツみたいな衣装を購入し、ヒーローになりきって訓練、街を徘徊します。アホなやつなのです。ところが、ひょんなことから有名になり、物語が大きく展開していきます。

 このデイブには前半のあるシーンで、目頭を熱くさせられました。普段、悪事を目にしても見て見ぬふりでいた彼が、ヒーローの衣装を身につけて悪たれに立ち向かう場面。特別な機能もない二本の棒を振り回して無様に戦う場面。ギークボーイ・デイブが現実と必死で対峙しようとするこの姿はまさしく感動的であって、ぼくのような人間は自然と、このデイブに感情移入して映画を観ることになります。ぼんくらが頑張る様は、ぼくに強い感動を与えるのであります。

 諸手をあげて賞賛できたのはここまでです。問題はここからです。単にヒーローとして暴れるだけでなく、恋愛方面の話も展開します。まあそういうものです。それは別によいです。ですが、ここでふと、あることに気づきます。

 今までうすうす感づいてはいたけれど、このデイブ、結構なイケメンじゃねえか! けっ、なんでいなんでい! 同じぼんくらと思っていたのに、裸であの女子と接する場面なんか、かなり様になっていやがるじゃねえか! 畜生! ぼんくらってのは、ギークボーイのぼんくらってのは、『ナポレオン・ダイナマイト』であって、『ホットファズ』のでぶちんであって、「ああ、こいつぁモテねえよ」なにおいを出してくれるからこそぼんくらなのだ! それが何だ! 結構早い段階からいちゃつきはじめやがる! ゲイと勘違いされて・・・というのもそんなに生きてこない! ぼんくらにとって最も高いハードルのひとつである恋愛の壁を、こいつぁ易々と攻略して生きやがる!

 この映画では二回、「跳躍できないデイブ」が出てきます。一度目はヒーローとしての練習を積む場面。ビルの屋上から屋上へ飛べない。で、二度目も同じですが、今度は象徴的にも、最強少女ヒットガールと対比させます。彼女は飛べる。デイブは飛べない。

 こうなったら当然、「跳躍するデイブ」を予想、期待するものです。あの場面を二回つくったってことは、生理的に三回目がないと落ち着かないです。いや、結局飛べなくたっていいから、何かしらの最終的な決着を見せてほしいのです。デイブは跳躍できたのか、できなかったのかについてね。ところがどっこい、デイブは最後に、「よくわからないやーつ」になってしまいます。

だって彼が何をしたのかっていえば、ジェット装備をしてガトリングガンをぶっ放すっていう、あまりにもアンリアルな大活躍です。最終的にはヒットガールを救い出し、万々歳ってなもんです。棒をもってめたくそに暴れていたデイブ、ビルの屋上から飛べなかったデイブ、ああ、あの頃が懐かしい。最後にはあり得ないような切り抜け方をして、恋人もゲットしてラブチュッチュ、で、ヒーローとかはもういい的な感じになってしまっている。大好きだったぼんくらデイブが、ものすんごい遠くまで行っちゃってるんです。跳躍できるのか、できないのか、という問いについていえば、「なんか違う次元に引っ越した」という回答が得られたような、釈然としない気分が残ります。恋人ができてハッピーな普通のやつになるならそれでもいい。それはそれでむかつくけどまあわかる。でもさ、だったらさ、クライマックスであんな風に大活躍させないでくれよな! おめえは恋人とラブチュッチュしていやがれ馬鹿! デイブ、俺はおまえが嫌いだ!(落ち着け落ち着け) 

 途中、好きな女の子の家に忍び込むときのぐだぐだ感とかはすごくいいんです。でもね、あれだってね、結局なんか、そのすぐ後で、いい感じになってんじゃん。何? ってことはあれかい? おめえらのハプニング的な前戯をこっちは見せられたのかい? ぼんくらな観客としてはさ、あそこでさ、うまく行かないのを期待するんだよ。で、「恋人にもふられちゃってうまく行かないぜ、でも、ヒットガール、俺は戦う! そして彼女を見返してやるんだ!」的な方向に持っていったほうが熱いじゃねえか! 

 要するに、この恋人との話が、どうにもクライマックスまでの盛り上がりに活かされていないんです。デイブが戦う動機付けとしてどうもうまく機能していないんです。もっともっと活かせた気がして、ならないのです。デイブがもったいない!

 さて、長たらしく書いてきましたが、ここからはもうひとつの柱、ヒットガールについてです。演じたのはクロエ・モレッツという子役で、「可愛い」というより、「なんとも愛嬌のある」顔というのが正確な気がします。彼女の大暴れがこの映画のカタルシスを担います。

 現代を生きるぼんくら野郎としては、「彼女は可愛いし格好いいし、くーっ、モーレツゥ!」というべきかもしれませんが、どうもこのヒットガールに熱くなれなかったのです。 と言いますのも、いろいろ理由はありますが、ひとつに、ぼくの中にいる良識くんが邪魔をしたからです。予告編の段階から気になっていたんですが、女子児童が刃物や銃器等を用いることについてはいいのか? と思ってしまったのです。我ながらなんとも良識くんでしょう。いい子ちゃんなのでしょう。

 いやいやいや、そうではないのです。よくよく考えてみるともっと根が深いのです。と言いますのも、現代の少子化ニッポンにおいて、子供というのはとってもとっても大事にされています。何かにつけてお子様お子様と呼称するのであり、他人の子供を叩いたりしたら大ごとで、体罰などは当然のごとくに禁止です。そんな世相を鑑みるに、このヒットガールの傍若無人な振る舞いは、ぼんくらたるぼくにとってはむしろ不快ですらあったのです。なんというか、「大人が手出しできないとわかって暴れている子供」みたいな感じがしてしまったのです。で、実際そうじゃないですか。ことアメリカ映画においていえば、大人は何百人と惨殺されようがお構いなしでも、子供の惨殺シーンなんて映しちゃいけないわけです。そういう意味で、映画における子供はもはや最強なんです。そんなガキめらに、大人がばたばたやられていくのは不快なのです。

 で、物語的に言っても、どうもやり過ぎ感があるんです。この少女が悪人を惨殺していくわけですが、「確かにこの悪人は惨殺されねばならない」と思わせるだけの動機がないんです。あろうことかこの映画、どうしてヒットガールと親父のニコラス・ケイジがヒーロー的な訓練をし始めたのかについて、ものすんごくさくっと説明して終わりなんです。だからあの惨殺がどうも痛快さを帯びないんです。ヒットガールと親父によって、一人のマフィアがひどい殺され方をするんです。あれでもう、なんか応援できなくなる。

 いや、いいんですよ。あの惨殺の数々については、「ヒーローってものをちゃんと描こうとしている」とも言える。「ヒーローってのは格好いいだけじゃなくて、実際にいたらあんな風に残虐な行為をしているんだよ」ということなら、その視点は面白いし、ヒーローものそれ自体についての言及、批評でもある。事実、途中で登場人物にも言わせるんですよ。「子供を大量殺人犯に育てていいのか?」みたいなことを。
 
 でも、別に、そこについては何にも掘り下げられていないんです。だからヒットガールのキャラクターもめちゃくちゃ薄いです。褒めている人はそこについて、何も思わないんですかね? 父親を殺され、復讐に燃えるっていうのがぜんぜん出てこない。というか、あれは言ってみりゃ復讐の連鎖でもあるわけですが、その辺の熱さも出てこない。復讐もので熱くならないなんて、どういうことだ! 『片腕マシンガール』のほうがずっとずっと熱いよ! 

 そう、少女が大暴れする荒唐無稽な復讐譚ってことでいえば、『片腕マシンガール』のほうがずっとちゃんと描かれていますよ。クロエ・モレッツより八代みなせですよ。『キック・アス』を大絶賛している人には、『片腕マシンガール』を観たのか? と言いたい。うーん。でも、観たうえで褒めている人もいるからなあ、そこがわかんないんだよなあ。

 それに、「少女大暴れ」萌えでいえば、あの『チョコレートファイター』があるわけです。あの映画と『キック・アス』でいうと、少女の強さの説得力がぜんぜん違うんです。『キック・アス』で問題だなあと思ったのは、どうしてヒットガールがあんなに強いのかがわからないところです。「親父の英才教育」ってことで、ここもまた説明したことにされています。そこにリアリティがないのに、「ヒーローの残酷さ」には変なリアルさを持たせる。そのラインがぐちゃぐちゃな気がして、乗れないんです。『チョコレートファイター』のジージャに萌えまくったぼくとしては、此度の少女にはポコチンが反応しないのです(ポコチンは反応しなくてもよい。しないほうがよい)。

 レッド・ミストも中途半端だったなあと思います。あれね、『Mr.インクレディブル』のシンドロームがかなり入っていますよね。自分をヒーローと偽るのも含め、そっくりですよ。ピクサーに許可を取ったのでしょうか。で、あのシンドロームのほうが魅力的だったわけです。ヒーローに憧れながらアンチヒーローに堕してしまう悲哀もあったし、展開的にも非常に香ばしかった。レッド・ミストはそうじゃないですからね。あのキャラクターは性格含め相当中途半端な造形だと思います。もっともっとよくなった気がします。キック・アスに対する複雑な思いみたいなものがぜんぜん出てこないので、もったいない。

 他にもいろいろありそうですが、ひとまずこの辺で。
 うん、「面白くない」と言っているわけじゃないんですけど、個人的な期待値のせいもあるんでしょうね、観ながら「もっと面白くなるだろう、もっと、もっと」と思ってしまったんですね。

 『キック・アス』は観に行ったほうがいいか? という問いがあれば、ぼくは先述したいくつかの映画のほうを薦めます。そして、あれらよりは熱くないよ、と申し上げることにいたします。

 さて、またも無期限の更新停止に入ります。コメントいただければ、それにはお答えしようと思います。 
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