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でんでん・黒沢あすか夫妻が最高。熱量もばっちり。だけど、だけど、だけど。
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長らく公開を楽しみにしていた作品で、予告編の段階からこりゃ間違いなかろうと思って待っていたわけですが、実際観てみると、ふむふむ、なるほど、こう来たか、ほうほう、あらら、はあ、ということ多く、ううむ、ううむ。

 実際の連続殺人事件をモデルにしているのですが、前半の運びは素晴らしいです。前半はほぼ完璧です。殺人犯を演ずるのはでんでん、その妻に黒沢あすか、顧問弁護士として渡辺哲、彼らに脅される主人公に吹越満、妻は神楽坂恵、娘に梶原ひかり。なんというか大変玄人好みかつ独特な布陣です。パワフルでんでんのパワーに吹越満は振り回され続け、凄惨な現場にも居合わされ、めちゃくちゃな事態へと突き進んでいくことになります。

 園監督の映画では役者が皆そのポテンシャルを十分に発揮すること多し、なわけですが、今回のでんでんについては方々で絶賛されている通りです。アメとムチという言葉がありますが、でんでんの演じた村田はその人格自体がアメとムチみたいですね。アメのムチと言うほうが適切でしょうか。優しさ、ひょうきんさと凶暴さがめっちゃ混ざり合っているんです。表裏一体とかでもないんです。「笑いながら怒る人」にも近いものがあります。何しろ脅しながらオヤジギャグを言うのです。吹越はそりゃ泣くほかありません。
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 演技の熱量はでんでんが引っ張っていて、全体を通して演劇的なハイテンションさがありますね。何かに似ているなと思ったら、これは増村保造と同じやり方なのです。リアルさと演劇の中間をひた走る、我々の日常よりもちょっと飛んでいるコミュニケーション風景。でんでんもさりながら黒沢あすかはそのいちばんわかりやすい実践者でした。でんでんも怖いですが黒沢あすかも怖いです。なんであんな、AVに出てくる痴女みたいな喋り方なのでしょう。でもそれがこの映画の独特の温度を生み出しているのです。でんでんと黒沢あすかのコンビ芸は本作に大きな魅力を付与しています。
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 気になったのは神楽坂恵です。パイオツ・カイデーナであって、序盤から谷間を、中盤では山頂までをも拝ませてくれたのですが、台詞回しは下手だったと思います。好評を受けているようなのですが、他の役者、他の園映画に出てきた人々に間違いなくかかっていたマジックは、彼女からは感じられなかった。顔立ちはいいんです。あの「売女感」は素晴らしい。でも、いざ喋り出すとなんか台本が見えてきたんです。
 ですが、おっぱい要員としては絶品。特にでんでんの手中に収まるあのくだりではにやにやが止まらなかったのであり、その後のシャワーシーンでも突然のおっぱい。ああ、恵さんのおっぱい(アホ)。
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 増村保造的ドライブ感を漲らせ、でんでん黒沢の大暴れがあって、もう前半は楽しくて楽しくてなりませんでした。ああ、やっぱり間違いなかった、期待値高めでやってきたけどちゃんと応えてくれるのなあ、と思っていました。なのですが、ううむ、どうも、ううむ。

 最後までこのドライブで乗せてくれれば何も言うつもりはなかったのですが、増村映画がそうであるように、ちょっと失速感が生まれてしまうと、今まで目を瞑ってきた脚本的あれこれが気になりだしてしまい、最終的には乗れなくなる、羽目になるのです。

 物語の大きな動き出しは、でんでんによるある人物の毒殺。吹越はその場に居合わせてしまったために、でんでんの共犯者にさせられていくのですが、まずでんでんがどうして吹越を共犯にしようと思ったのか、あまりよくわからないんです。実際に起こった事件では、主犯と共犯は繋がりがあったようなのですが、本作ではでんでんと吹越に何の繋がりもないのです。たまたま吹越が従順だったからいいですけど、普通に考えたらものすごく危険ですよ。通報のリスクが増すわけですからね。「吹越は娘を人質にとられていたようなものだから、言うことを聞かざるを得ない」と言うかも知れないけど、別に犯罪組織があるでもなし、敵はでんでん夫妻くらいなのだから、いくらでも通報できますって。狡猾なんだか迂闊なんだかよくわからないんです。このシーン自体はめちゃいいんです。もがき苦しむ諏訪太朗と、その横で饒舌を振るうでんでん、そして黒沢。でも、展開としてはちょっと強引な気もする。

 あとはせっかくつくった面白そうな部分をあまり膨らませてくれないんです。神楽坂恵がでんでんにやられてほえほえになるのも、あとあとぜんぜん活きてこないです。この話の中で神楽坂の存在はすごく薄いんです。彼女の抱える物語がぜんぜんわからない。だから最終的に殺されたってこっちには何にも衝撃がない。あそこで神楽坂恵を殺すのは、違うかなあという気がしてしまいます。彼女には、生きたまま映画の終わりに立ち会ってほしかった。そう思う人はいないですかねえ? 物語の中で息づいていなかった彼女は、むしろ死ぬべきではないんですよ。そのほうが、見終わった後のもやもや感は深まったはずです。ラスト近くの死に要員にしては駄目です。

 活かされないので言うと、せっかくやくざものがやってきたのに、あの一場面で終わりなのは寂しいですねえ。「やくざものとは戦わない狡猾な悪人」でんでん、ということなのでしょうが、そうは言いつつも、警察によれば「彼の周りで三十人以上が姿を消している」なんて言うのだから、恫喝してきたやくざものに何かしらのバッドエンドがあれば、でんでんの怖さがより強まったとも思うのですがねえ。まあそういうのを入れているとざらに三時間越えしてしまうでしょうから仕方ないのでしょうが、あまりね、どうもね、深まらないんです。でんでんはすっごい魅力的。でもそれは役者としての彼のすごさなんです。映画を通して、彼の悲哀とかそういうものは伝わってこないんです。過去を語ったりはしているんですが、語るだけで見えてこないんです。

 気になりポイントで言うと、好評らしいグロ描写ですね。これがなあ…。『ホステル2』を評したときに書きましたが、グロテスクな人体損壊描写については、その映画内で肉体が重視されていない場合、活きてこないんです。特に今回なんかは、人が死んで、毛布にくるまれて風呂に運ばれて、次に来たときにはもうばらばら血みどろ、でしょ。だとすると、「うわ、人体がこんな風になってしまうのか」という凄みが来ないんです。黒沢あすかが人肉をサイコロ状に切り刻んでいる。なるほどそれは残酷ですよ。でも、それならやっぱり、ちゃんと肉体として見せておかないと、最初の一太刀を見せないと、ぜんぜん痛くないんです。モチーフとしては地味なこの映画で、あれほどの血の量を出して、痛みがないというのはほとんど致命的です。初めからギタギタの細切れ肉を見せられて、「これが人間だったんですよ」という見せ方をしても駄目です。園監督はなぜこのような見せ方をしたのでしょうか。こう考えていくとやっぱり『グロテスク』がいかにすごかったかと思います。
 あと、もうちょっと説明してくれてもいいのにな、と思う部分もありました。
死体の骨を焼くとき、醤油をかけるようでんでんが指示するんです。これは実際の事件でも行われていて、どうやら臭い消し目的だったそうなんですが、劇中では何の説明もないからなぜそんなことをするのか気になってしまうんです。肉と骨を分けるのも臭いがでないようにするためですが、そこも説明があったほうがいい。でんでんがいつもの饒舌で聞かれてもないのに説明する、でもいいし、吹越に質問させてもいい。饒舌劇なのに説明が至らないところもありました。

 で、クライマックスもなあ…。吹越がトチ狂って暴れ出すところが、正直面白くなかったんです。この映画では、やっぱりでんでんの代わりはいないんです。それに吹越が何をしたいのかもうひとつよくわからない。この映画の致命的な欠点、などというと余計「なにさまっ」な言い方になるんですが、あのー、吹越満演じた社本という男が、哀しく見えてこないんです。こいつは哀しいなあ、うわあ、えらい状況に置かれている、悲劇的だなあ、という風に見えてこないんです。わざわざ警察のほうから出向いてくれて、救いの手を差し伸べてくれているのにそれも無視し、最終的に狂ったと思ったら今度は通報してみたりして、何なの、彼は一体何なの? この映画ね、「でんでんがすごい!」と言われますけど、その通りなんですけど、話としては最終的に吹越満大暴れ映画なんですよ。だったら「吹越がすごい!」ってもっと言われなきゃいけないはずだし、それがあまり言われない、でんでんにかき消されるってことは、やっぱあの終盤の動きはそれほどみんなぴんと来ていないってことなんじゃないのか? 『わらの犬』ですごかったのはやっぱダスティン・ホフマンだったんじゃないのか? 吹越の社本に関しては、「そうだよな、確かにこう動いてしまうよな」と共感する場面が大変乏しい。そんな彼に、「人生ってのは痛い」と言われても。響く人には、響くんですかね。

 でんでんが死ぬまでのドライブはすごいんです。面白いです。でも、でんでんが死んだ後の失速、あるいは温度、濃度の低下によって、前半までのあらがたくさん気になり始める。そんな映画でした。園子温作品の中では、『奇妙なサーカス』『愛のむきだし』『紀子の食卓』『ハザード』に続く、五位くらいの感じです、個人的には。
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