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ついに出た! 日本で唯一の本当のアイドルグループによるファーストアルバム!
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いろいろと書いてみたのだけれども結局何も言うことなどないのです。ぼくの文章など読んで時間を費やすおつもりならば、どうぞ下の数々を再生してくださいまし。








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まあ、タイミングの問題も、あるのかなあって。  
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試しにツイッターを始めたのであります。これはもう完全に気まぐれであるため、気まぐれに終わる可能性も高いです。メッセージアンドフォローがいただけたらちゃんとフォローします。フォローしてもらったはいいけどよくわからない方はフォローしないのであります。
原題『The Princess and the Frog』
 前回に続きディズニー作品ですが、こちらはCGではなく普通のアニメーションです。この種のディズニーアニメはぜんぜん観ていません。まともに観たのは『リトルマーメイド』くらいです。こちら方面にはあまり惹かれずに来ました。

 ピクサーだったり日本のアニメだったりを観てくると、どうにもアニメ的快楽を感じにくいジャンル、というのが本音ではあります。でもまあこれはあくまでも好みの話で、昔から慣れ親しんでいる人は問題ないのでしょうけどね。というより、ディズニーこそアニメの本家であるわけですから、正統中の正統であって、むしろ保守層からすればぼくなどは亜流を愛でている無粋な人間と言えるかもわかりません。
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 で、『プリンセスと魔法のキス』ですが、本作が持つ意義については、宇多丸さんが概論を行っています。そちらを聞いて頂くと早いのですが、要するに、旧来のディズニークラシックが持っていたような「憧れの王子様と結婚してお姫様になってハッピー」という物語とは別の話を始めている、ということです。それが証拠に、いかにもかつてのディズニーをパロディにしたかのような友人が出てきて、主人公と対比されます。友人はお姫様願望を抱えていますが、主人公は自分の身の丈にあった幸福を望んでいるというわけです。
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 ぼくとしては、宇多丸さんに「じゃあ『ティンカー・ベル』を正当に評価してくれ」とも言いたいところです(『プリンセス』を語ったときのシネマハスラーではどうも観ていなかったようで、「アイズナー氏の残念な作品群」の中にぽいと入れて語っていました)。
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まあいいや。ほいで映画の話ですが、主人公は黒人娘で、ここがまた今までと違うねというのもあるんですがその件については無駄に長くなるのでやめておくとして、その黒人娘が蛙になった王子様とキスして蛙になります。そして蛙としての大冒険が始まるわけです。
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 全編ミュージカル仕立てです。ことあるごとに歌い踊ります。観たときの気分もあったのでしょうが、ちょっと鬱陶しかった。「また?」という感じが何度かありました。そこが魅力なのだと言われてしまえばそれまでなのですが、ミュージカルシーンというのは、物語の中でも特別な機能を担います。たとえばバズ・ラーマンの『ムーラン・ルージュ』がありますが、あれなどは観る側を圧倒するハイボリュームで、観ていると気分が高揚してくる。まさにアゲアゲなるミュージカルの好例です。あれで映画がお祭り的盛り上がりを魅せるのであって、なおかつ勢いで持って行けたりする。ミュージカルって、物語を急進させることが可能なんですね。たとえば仲違いしている二人がいて、その二人が歌い出して、互いの感情をぶちまけ合う。そのうちでいつの間にか打ち解けて事態が急変、解決ハッピーなんてこともできるわけです。『プリンセスと魔法のキス』でもその種の展開がありました。だらだら進めるより一気に行っちゃえ!というときには効果的です。でも、その場合はやっぱり、観客をアゲアゲで、ある意味暴力的に連れて行くような力学が必要で、それはねえ、うん、アニメーション的快楽と不可分だと思うんです。いわゆるディズニーアニメーションに親しみのないぼくからすると、この映画のミュージカルではアゲアゲになれなかった。そうなると、ミュージカルの強引性が鬱陶しく思われてくるし、展開の強引さを感知してしまう。
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 それにくわえて、ミュージカルは置き場所が大事なんだろうなと思うんです。映画が持つ雰囲気をがらりと変える効果を持つ。『ダンサー・イン・ザ・ダーク』なんかでも、暗い日常、暗い映画がぱあっと一瞬明るくなって、映画がきゅっとしまってこっちもしゃきっとする。たとえその後何も変化が無くても、映画的なおかずになるし、アクセントたりうる。『プリンセス』では、あくまでぼく個人の感覚ですけど、ちょっと供給過剰だったんです。
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あとは、まあ細かいところなんですけど、リアリティラインがようわからん、というのがありました。蛙になった王子様がね、本で叩かれてぺちゃんこになるというアニメ描写が二回出てくるんです。でもアニメなので、次のカットでは普通に戻っている。よくあるやつです。でもね、クライマックス、主要登場キャラが悪役に靴で踏まれるとそいつは致命的な重傷を負うんです。どないやねん。宇多丸さんは「重箱の隅、いいよいいよ」と流していましたが、大事じゃないかな、それ。ぺちゃんこになっても生きていたら、「ああ、そういうラインね」と観るじゃないですか、こっちは。それを肝心なところで変えられると、戸惑ってしまいます。その意味で言うと蛙ぺちゃんこのくだりは外すべきだったでしょう。別にいまさらやられても、という陳腐な描写ですからね。別にアニメ的なひょうきんさをなくせとは言わないから、別の描写で代替すればよかったと思うんです。ピクサーでは絶対ありえないじゃないですか。あとは一カ所、主人公蛙の移動が早すぎるんじゃないかという場面がありますね。せっかく小さな体で苦難の道をひとつひとつやってきたのに、えらく急に移動したな、という場所があります。
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好きな部分としては、むしろメインの物語に加わらないあの友達の女の子の造形です。あの子が出てくると映画が明るくなります。この映画は見てくれは地味なんです。ワニとかホタルとか、ホタルなんて前回の『月の石』のホタルと対照的に、ぜんぜん可愛くないし。だからこそああいうハイテンションキャラがいると上がります。あの子のミュージカルが観たかった。

 魔法使いのばばあが出てきますけど、ああ、なんか古典的というか、古いなあ、と思いました。それを愛でるというのはわかります。あの古さ、いかにも手書きアニメ的キャラを、CGアニメの時代だからこそ愛でるというのもわかる。そういうモードじゃなかったんですね、ぼくが。

あとはでも、うーん、「キスで魔法が解ける」を逆手にとって、「キスで魔法(呪い)が感染する」という展開は面白かったんですけど、結局最終的にはキスで魔法が解けるんかえ、というのもあってね。それだと白雪姫と一緒ですけどね。もちろん白雪姫の一方的な愛とは違っているんですけど、キスを呪いに見立てたのなら、もっと違う解決策でもええのに、とも思いました。安直と言えば安直な気もします。キスばっかりやな、という。
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文句を垂れすぎた感がありますが、まあ映画というのは観ているときのテンションなり何なりに大いに左右されるものでして、別の時に観ていたら「そこがいいんじゃない!」と真逆のことを言っていたかも知れず、ぼくの評言なんていつもの通りいい加減なもんです。まあ、そんなところです。
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前作のほうがいいけれど、大事なことは守っている。
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 原題『Tinker Bell and the Lost Treasure』
 前作『ティンカー・ベル』が良かったので観てみました。本作もそうですがアメリカではDVDスルーなのですね。いわばOVAということでしょうが、このクオリティをOVAでつくっちゃうところがさすがディズニー、ピクサーを我がものとしたディズニー。

 ぼくはこの妖精という存在が結構好きです。天使や悪魔というと信仰が絡んだりそれに付随するイデオロギカルなものが鬱陶しかったりするけど、妖精はそれとも別の、単純にワンダフルな想像なんですね、ぼくにとっては。その点で言うと妖怪なんかも面白いけど、妖怪は今度は自由度が高すぎる。妖怪って何でもありですからね、何でもありすぎてつまらなかったりもする。一方、妖精は設定上の縛りもあるし、丁度いい具合の遊びがあるのです。
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 このティンカー・ベルというキャラクターには是非、他のディズニー作品、ピクサー作品に遊びに出て欲しいですね。ゲスト出演させて欲しい。ピクサー作品×ティンカー・ベルというのは考えるとわくわくします。このキャラの外見的造形は日本アニメの美少女、いわゆる萌え系のそれとはまったく異なります。なんというか、そこまで可愛いわけではないんです。でも、愛着が湧きます。むしろ変な萌え的要素が排除されている分、媚びやあざとさがなくて、素直に好感が持てます。 
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 本作『月の石』の話に移っていきますが、ぼくは前作のほうが好きですね。
 前の世界で「妖精の住む世界、ピクシーホロウ」というものを形作ったわけですが、そのワンダーランド感は減じてしまった。前作では観るもの観るものに宿っていた新鮮さがありましたが、それを上回る魅力は本作からは感じられませんでした。観る側が世界に慣れてしまうのは、続編が受ける宿命。だからこそ今度はキャラクタなり別のガジェットなり脚本なりでパワードされねばなりません。そういう部分の強さはなかったな、という印象です。
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前作との大きな違いはテレンスという男子キャラですね。恋愛的要素はゼロに等しく、むしろ友達という位置づけが全面に押されているのですが、このテレンスのキャラが弱いです。ティンクの作品はまだまだ観てみたいと思う。でも、別にテレンスはいなくてもいい。テレンスが有している機能って、「男子キャラ」「友達」「ティンクを助ける」というこの三つに留まっているんです。もっとテレンス特有の性格、癖みたいなもんがないと、どうしたってこのキャラの魅力は出ない。そう、癖です。癖がない。こいつは印象が薄いんです。こいつきっかけで話がどたばたしちゃったりもしないし、その点のつまらなさは大きい。なにさまなことを続けますけど、作り手はこのキャラのことを愛しているか? と思います。そんなに愛していない気がします。だって、「愛しじろ」(「のりしろ」の類語、造語)がないもん。
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 あと、これはぼくの気のせいかもしれませんが、前作に比べてどうもキャラクターが人形っぽくなっている気がしました。前には感じなかった違和感です。なんだか体の動かし方とかがちょっと角張って骨張っているような。手元に前作がなく確かめられないため、確信がないんですけどね。製作総指揮として前作ではピクサーのヘッド、そしていまやディズニーの制作を束ねるあのジョン・ラセターが関わっていたんですけど、本作に彼は携わっていないようで、そういうのもあるのかな、と思います。
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 脚本的な弱さでいうと、いくつかあります。ひとつだけ挙げておくなら、テレンスが助けに来るのが唐突すぎます。ティンカー・ベルは訳あって住処を遠く離れ、苦難の旅に出るんですけど、テレンスはいとも簡単に彼女のもとにたどりつき、「助けに来たよ」となってしまう。これはまずいです。尺や製作費の都合もあるんでしょうけど、もうちょい描きようあるんちゃう? と感じずにはいられない。
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 いくつか文句を垂れましたが、十分なクオリティはあるし、何よりもどうしたって嫌いになれない要素として、このティンカー・ベルがいます。彼女の何がいいのか、このシリーズの何がいいのか、明確な勝因があるんですけど、それはひとえに「工夫」です。宇多丸さんいうところのKUFUです。ティンカー・ベルは頑張って、工夫で物事を解決していきます。前作の褒めどころとしてはそれにくわえ、「憧れたものとは違っても、自分に与えられた能力を、自分の生き方を肯定する」という要素がありました。本作ではそうした生き方にまつわるメッセージこそなかったんですが、重大な過失を努力と工夫によって解決、よりよい解決を導くという素晴らしさがあって、ここは大変にブラボーです。この「工夫」がある限りにおいて、ティンクの物語は今後も大丈夫だろうと思えるのです。
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 前作に比べるとやや劣るか、という印象です。というより、あらためて考えてみるに前作はとてもとてもよかったのです。前作の「走りあざみ」のくだりは素晴らしすぎたし、深いメッセージがあったし、ぜひチェックしましょう。もしも前作に感動したなら、「まあそんなには期待せずに」くらいの感じで本作を観ましょう。
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監禁ものの要点を押さえた傑作。 
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 原題『What Ever Happened to Baby Jane?』
 邦題は「起こったか」でなく、「起ったか」。これはなかなかに魅せる逸品でございました。非常にこぢんまりとした話ですが、2時間15分弱、飽くことなく観られました。

 ブランチとジェーンという姉妹がいて、妹のジェーンは天才子役として舞台に立っていました。一人舞台もお手の物、彼女を観るためにたくさんの大人が劇場に詰めかけていました。一方、姉のブランチはというと大変に控えめで、二人は完全に光と影をなしているのでした。
 ところが長い月日が経つと、二人の関係は逆転しました。ブランチは大女優となり、ジェーンはいまやとうに忘れられた存在となりました。やさぐれたジェーンは毎日アルコール漬けの日々を過ごしています。しかし、姉のブランチも決して健康体ではなく、女優業を引退しております。さて、ブランチに何が起ったか? ジェーンに何が起ったか?
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 というに、この二人姉妹は過去に大きな事故を経験しているのでした。そのときの後遺症でブランチは下半身不随。大女優としての活躍も今は昔の話で隠居生活を強いられています。ジェーンはブランチの名声に嫉妬を抱きながらも、事故の責任を強く感じてもおり、一応の介護生活を続けているのでした。
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 基本的に話はずっとこの二人のこと、舞台は二階建てのそれほど大きくもないおうちの中です。通いの家政婦とか隣人がちょいちょい出てきますが、あくまでも脇役で、話は完全にこの二人のもの。二人のおばさんの映画で二時間以上飽かせないというその手腕に惚れ惚れします。

 ジェーンを演じたベティ・デイヴィスの壊れっぷりとブランチ役のジョーン・クロフォードの弱々しさだけでこの映画の魅力は十分ですが、実はとってもテンポがいいんです。過不足のない間というか、乱れのないリズムというか、これだけの話で停滞を感じさせないのはすごいことです。肝心なのは、二人の苦悩だとか懊悩だとかをあまり湿っぽく描いていないことなんですね。それをやるとテンポが死ぬし、このサイズの話でテンポが死んだらそれは映画的に致命傷。出来事を淡々と追っていき、時折ジェーンの怖さを見せる。惨劇の予兆をずっとずっと感じさせる。で、これまた大切なのは、ジェーンからはそれほど暴力のにおいが漂ってこないことで、これにより過剰さがなくなっているのです。
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 カテゴリー的には「監禁もの」に属すと言える本作ですが、「監禁もの」は絶えず暴力の誘惑に駆られるものです。キング原作の『ミザリー』でもケッチャム原作の『隣の家の少女』でも、あるいはあの『グロテスク』でもそうですけど、監禁ものには暴力(あるいはレイプ)がつきものです。暴力は映画の醍醐味であり、暴力的な映画の傑作はむろんたくさんにあるんですけど、暴力映画はひとつの賭けでして、と言いますのも、描かれる暴力描写それ自体に、映画的負荷がかかるわけです。簡単な話、「この映画の暴力描写はすごいぞ」という触れ込みの映画ですと、実際観てみたら「あら、なんてことないじゃん」となる恐れを多分に抱えるのでありまして、なおかつたとえすごい暴力シーンを描いたとしても、その置き所を間違えると後半で拍子抜けることになったりします。

 ベティ・デイヴィスからは暴力のにおいがしません。やさぐれてはいるけど、暴力的ではない。彼女もまた、暴力を自分のものとしていない。その危うさが狂気とないまぜになって描かれています。本当に怖い暴力は、暴力を身につけた人間のそれではなく、暴力を持たない者にこそ宿るのです。やくざが刃物を持っている画よりも、物静かなおばさんの持つ包丁のほうが怖かったりするわけです。そして彼女がかつて在りし日、子役スター時代を懐かしんでかすれ声で歌うほうがずっと怖かったりするわけです。だからこそ、無様に蹴りつける場面が生々しく迫ってくるのです。ジェーンがブランチに対して抱えている思いみたいなもんも、監禁ものたる本作を一層豊かに見せています。
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ブランチの弱々しさもまた素晴らしいのです。本当に好対照でした。彼女の怯えが、ブランチの迫力をさらに大きくするのです。ブランチは車いすでありながら二階の部屋を与えられています。介護的観点から言えば100パーセント間違いというものです。でも、だからこそあの階段を懸命に下りようとする場面だけで大冒険のように見えてくる。監禁ものの正否はおそらく、いかに小さな空間をいかに苦難の道に見せているか。この映画は、その勝負に見事な勝利を収めているのです。
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それがあるから余計にあのラストの浜辺が利いてくる。あのラストはいいですねえ。ぶっ壊れジェーンのアイスクリームステップは、朝焼けのレザーフェイス級と言えましょう。このときのジェーンは、なぜかとても可愛らしいのです。また、ラストの「あれ」については、他言無用ですね。
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 50年前の小さな作品ですが、監禁ものの要点をばっちり押さえた傑作であります。ちなみに、本作は和田アキ子のベストワン映画らしいです。
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おもちゃという自由自在。
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ものすんごく些細で映画と一切関係ないどうでもいい愚痴。読み飛ばし推奨。
 今日ね、コンビニで買い物をしてね、おつりをもらったわけ。100円のおつりになるようにもらったわけ。でもね、ドアを出る間際、その100円玉を財布に入れようとしたらね、あれれ、50円じゃないかって思ったわけ。でも財布には100円が三枚と50円玉がもう一枚あって、確信は持てなかったの、小銭入れに半分入れているような感じになってたし。あれれ自分の勘違いかなって気もしたの。でもね、なんとなく50円玉のあの、真ん中の穴の感触がふっと指にあったものだから、こりゃ渡し間違いをしたな、と思って、レジのじじいに言ったの。そしたらね、レジのじじいはね、レジを開けて一秒くらい黙った後、「100円を渡しました」と毅然とした風に言うのね。そんなに堂々と言われたらこっちはちょっと自信ない部分もあるからさ、それにこの言い争いは結局絶対に解決しないってわかってるからさ、引き下がったの、急いでいたし。でもさ、その後さ、すっげえ悶々としたねあたし。だって買い物する前とした後で、やっぱり50円じゃ帳尻合わないんだもん、財布ん中。でさ、こうなるとさ、そのコンビニに対するストライキというかね、ボイコットというかね、したくなるよね、一週間くらい。結局あのじじいはさ、50円のために一週間、あたしが落とす分の利益を損失するのよね、ははは、ざまあ見なさい。これね、あたしの勘違いかもしんないけどさ、もしもあそこで100円と50円換えてくれてたら、あたしは今以上にヘビーユーザーになってあげてたのよ、「あたしが間違ってるのかもしんないのに買えてくれた」っていう感謝めいたもんもそこに生まれるわけじゃん。それなのにね、なんかあれだよね。でも、うん、なんかひとつ、商売の心がけを勉強した気がするね。なるほど、だったら50円分の価値はあったからまあいいや。

 ふわふわした軟着陸で速やかに映画評に映ります。
 ピクサー作品は長編ならすべて観ていますが、いちばん好きなのは『ウォーリー』です。その次が『Mr.インクレディブル』『モンスターズ・インク』『バグズ・ライフ』といったところでしょうか。『トイ・ストーリー』自体はそこまで思い入れないです。長男ということもあり、おもちゃは結構買ってもらったはずで、それなりに幼少期をともに過ごしたはずなのですが、むしろテレビゲームに熱中した記憶ばかりが根強くて、おもちゃにあまりぴんと来ない。ゲームカセットが主役の映画だったらもっと思い入れるかもしれないんですけどね。中古屋に売られていくファミコンソフトの話なら泣けるかもしれません、味気ないですけど。
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 個人的な話をついつい続けるなら、人形たるものには愛着よりむしろ畏怖のほうが大きいですね。昔、床の間に飾ってあった日本人形(女子)を妹が損壊したことがありました。顔の片側が無残に砕けたそれを見てぼくは恐怖におののき、「これはなんらかの呪いとかそういうあれが降りかかる可能性大」と考え、人形に対する謝罪文をしたためました。
「妹は貴女を故意に破損せしめたわけではなく、あくまで不慮の事故によるものにて候。取り返しのつかぬことと存知候えども、災厄、祟りの類の無きことを何卒お願い申し候。」
幼い妹は訳もわからずえへらえへらとしておったので、「何をか笑わん」と殴りつけ、妹をびいびい泣かせ、「まあ妹もこのように反省しておるので何卒」と土下座しました、人形に。
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 そういう記憶があるので、人形はどうも怖いのです。愛玩の思いが弱いのです。
 しかし映画の出来はそれを差し引いても大変によくできておりました。他のピクサー作品と比べて本シリーズが勝っているのはひとえに、キャラクターの多彩さです。要するに、「モチーフは何でもあり」なのです。おもちゃというものに落とし込みさえすれば、恐竜でも巨大な赤ちゃんでもエイリアンでも何でも出せる。もちろん異世界ファンタジー的な話なら、それこそ妖怪とかドラクエのモンスターみたいにいろいろ出せるわけですけど、それはやっぱり「異世界」ということで逃げている部分もある。本シリーズは現実に存在するものでありながら、さもワンダーランドのごとき多種多様なキャラを出せるので、観ている側は現実の異化効果みたいなもんを感知し、余計に楽しめるわけなのです。小さな世界が大きく見える、というのは最もわかりやすい異化のひとつです。保育園の小さな遊戯部屋が遊園地のように見えてくる。主人公たちが新しい居場所を開いたあの瞬間の快楽は、なかなか味わえるものではありません。
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 前々から出ていたキャラですが、本作ではバービー人形がすごく面白く見えました。なんでかというにこれもキャラの多彩さってところで、他の連中と等身が違うんですね。二等身くらいのキャラが多い中で、一人だけスタイル抜群というのは笑う。タッチが違うから面白いんです。これはぼくが昔から、「そういう漫画ないのかな、あったら面白いのに」と思っていたもので、明らかにタッチの異なるキャラ同士が共存している絵というのは、それだけで面白くなる。こっちの脳を程よく刺激してくる。
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 ピクサーはさすがに偉いなと思うのは、出てきたキャラにきちんと見せ場をつくるところです。脇役でもどこかでちゃんと見せ場をつくってやるというところに、キャラクターへの愛情を感じてやみません。恐竜の出番がちょっと少なかったくらいで、ほぼ全員、そのおもちゃ独特のやり方で活躍していました。トトロをさりげなく出してくるところもいいです。なおかつこれまたいいのは、ガキの凶暴性をきちんと描いている点ですね。純粋無垢で可愛らしくて、というわけじゃなく、「ガキは乱暴」というのをしっかり描いていて偉い。この映画でいちばん暴力的なのは、年少のガキですからね。
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 それでいうと、ジャイアントベイビーが怖いのが面白い。月夜ブランコに座り込んでいるベイビーは面白い。赤ん坊がたそがれているのが面白い。あれは人形の怖さが表現されているので、ぼくはとても好きです。うるさい猿も面白いんですねえ。あれもまたキャラの妙技の出しどころで、人格を持たせようと持たせまいと自由なんです。あの猿は人間的であってもなくてもいいわけで、単純に面白いほうを選択できる。おもちゃという題材は本当にやりたい放題できるんです。
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 飽くことなく観られます。最後、ハリウッド的冒険譚からの着地タイムが長いんですけど、あれはあれでいいんです。というか、ピクサーはそりゃ脚本をめっちゃ考えている人たちの集まりですから、なるほどすっごい考えているなと思わされます。あれね、命からがら逃げ出した後を、短く収めようと思えばできるんですよきっと。でも、そういうハリウッド的なお手本通りの尺の扱いでは、この映画に十分な余韻をもたせられないわけです。命からがら逃げ出したねやったねハッピー、ではなく、おもちゃの幸せをきっちり、くどくてもきっちり描くことが必要なんじゃ、というわけです。
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 心にずしりと来る、残る、ということは今回もなかったです。でもそれはぼく個人の捉え方だと思うし、これに撃ち抜かれる人がいてもおかしくない、というか、それなりにいてほしいとさえ思います。エンターテインメントとしてはピクサーのすごさが今回もいかんなく発揮されていて、映像的クオリティも前進の一途で、なんだかもう、逆につまらないくらいです(どないやねん)。

 これを人に薦めて、「つまらなかったよ」と言われることはそうそう無いでしょう。そういう風に思わせる作品というのは、とんでもないものなのです。
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エヴァやハルヒを知らぬ中高生なら、最高にアゲアゲでしょう。
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 名前だけはちらほらと目にしていたのですが、阿部和重がツイッター上で、
「『魔法少女まどか☆マギカ』はほんと凄いな。素晴らしすぎて参っちゃったな。」
と述べており、こうなったら観ておこうと思ってまどか、マギカ。
 正直なところこの手のアニメには歳を重ねるにつれ、少しずつ距離感を覚えていたりもするんですが、それはジャンル差別ってもんです。凄くて素晴らしいならばどんな分野だろうがひとまず観ておこうというのが正しい知的態度でありましょう。
「距離感を覚える」なぞと申しておりますが、じゃあこれまではアニメを十分に観てきたのか君、あるいはおまえ、と言われたなら返答に窮するのでありまして、新房昭之監督の作品というのは他にまったく観たことがありませんでした。というかぼくがまともに観たアニメなんていうのは十代までを抜きにすればエヴァとハルヒくらいのもんでして、深いアニメ談義はできぬ野郎なのです。そんなやつの言うことなんで、まあ話半分に読んでくださいやー。

 観たことがないぞ、という人のために書いておくと、まあ、ある面では『セーラームーン』的な感じです。主人公のまどかは「ちびうさ」そっくりですね。他にも魔法少女が四人出てくるわけですが、この辺の感じはセーラーマーキュリー、マーズ、ジュピター、ヴィーナスあたりとも通じています。タキシード仮面様は出てきませんが。
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 ああ、なるほど、勧善懲悪的ヒーローものね、と思われそうですが、というかぼくもそう思っていたのですが、そうでない部分が結構出てきます。この辺は未見の人向けには言うのが難しいですね。あまりばらすべきではないです、このタイプの話は。でも、なるほど阿部和重が賞賛するように、物語的なダイナミズム、目論見、企みもありまして、これをエヴァもハルヒも知らない十代が観たらなるほどたいそうびっくりしてひっくり返ることでしょう。

 戦闘シーン、各回のクライマックスもアゲアゲ感があっていいですね。ぼくがいちばん好きなのは二話目、マミがエンディング曲をバックに銃をぶっ放し続ける場面です。全話を通じてあれがいちばんアゲアゲだったと思いますね。『セーラームーン』にせよ、その源流たるヒーローものにせよ、クライマックスの戦闘シーンがアゲアゲである、ということはそれだけで価値があるのです。コスチュームにしてもそれこそセーラームーンばりにキメキメのブリブリですから(大麻とは無関係。ここではぶりっこであることを差す)、そういう方面の好事家にも大受けでしょう。今後のコスプレ市場にまたひとつメジャースタイルが増えることでしょう。杏子のコスプレをしてお菓子を食いながら秋葉原を歩く女が出てくることでしょう。お菓子を食うあのキャラ付けの源流はキレンジャーのカレーでしょうけど。
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 難点をあえて挙げるならば、これは十二話構成である以上仕方ないのですが、肝心な展開がかなり急に映る、ということであります。え、もうそんな感じになるの? というのが主に三つ、あるいは四つあるんです。いずれも登場人物の精神的動きについてですけどね。だからちょっと没入しきれない部分もあって、ただこれは十二話だと本当に致し方ない。十五話くらいあると一番綺麗な形で整うんだと思います。エヴァで言う「ゼーレ、魂の座」みたいな回があると補完できるんですけど、それはもう、言いっこなしでしょう。むしろその中に詰め込んで詰め込んでしているのだから、密度が濃いとも言えるわけで、その点大変に立派であります。

 対象年齢で言うと、やっぱりそれでもばっちり十代ですね。中高生がいちばん楽しんだでしょう。ところどころ台詞にくささもあるんです。友情とかそんな感じの熱い台詞は、散々聞いてきたのでくさい。ああいう台詞で感動するような年齢ではぼくはもうないのですね。 
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うん、エヴァとかハルヒを観た後だと、そりゃ「な、なんじゃこりは!」というもんでもないんです。まどかだったらハルヒのほうにぼくは惹かれる。ハルヒは原作がつくづく完璧なバランスでできあがっている。アニメもまた目論見に満ちていた。うまいことやるなと膝を打ち、そして嫉妬を禁じ得ない。そしてエヴァについていえば、あの、今後、エヴァとフェアに語ってよいアニメというのは、出てくるのでしょうか? ってくらいよくできていた。まどかはそりゃエヴァには負けるでしょうよ。魔女の造形は使徒よりぜんぜん面白くないし。セーラームーンよりはずっとずっと面白いけど。でも、エヴァよりもまどかが好きなの! って人がいても、それはそれで納得できます。長々語ればいいってもんでもないし。

 世間では何かにつけアニオタ、キモイなどと言われたりすることがありますが、あの、断言していいと思いますよ。エヴァのすごさもハルヒの目論見も知らないでレッテルを貼っているやつは、馬鹿ですから。そいつらはきっとすごい小説を読んだこともないし、すごい映画を観たこともない。あまりお話にならない人たちです。『まどか』だって、少なくとも九時や十時に多額の予算かけてアイドルをちゃらちゃら出しているだけの毒にも薬にもならない連ドラに比べれば、ずっとずっと上です。

 話がずれずれですね。
 総じて言うに、『まどか』は萌え感を基調としつつアゲアゲ感と目論見を十分に持った傑作です。

…………以下はちょいとしたネタバレ言及。最終回についてなので、要注意。


 でも、正直あの終わらせ方は、ぴんと来ません。というか、規模がでかすぎるとぴんと来ないんですって。エヴァの超巨大な綾波みたいなもんですけど、それ以上ですからね。それ以上のことを映画じゃなくて普通のテレビサイズでやると、ちょっと規模が大きすぎて捉えきれない。たとえば「千正」って、よくイメージできないでしょう? 「正」は10の40乗ですけど、百万円、一億円、一兆円くらいはイメージできても、「千正円」なんてあってもいまひとつわからない。そんな感じで、あそこまで規模が大きいと、「自己犠牲」「献身」の熱さが出てこない。「自己犠牲」「献身」って、燃えるじゃないですか。自分の命と引き替えになんちゃらとかって展開は、最も燃える物語展開のひとつですよ。しかし、じゃあどうして「自己犠牲」「献身」が燃えるのかっていうと、要は「命」というこの上ない対価、取り返しのつかない対価を払って、何かをしようとするからです。
でもね、『まどか』の場合は、彼女の命の交換品が「歴史上の全ての魔法少女を救う」っていうことで、なんか知らないけど宇宙がものすんごいことになったんでしょ。一人の命の対価としては、ちょっと大きすぎる気もするんです。
 『ドラえもん』の「鉄人兵団」(昔のほうのやつ。新しいのは知らない)のリルルも自己犠牲ですけど、あれはリルルの持つ機能が「敵」「ロボット」ってところにも感動の要因があったわけで、なおかつ鉄人兵団が来たら世界がやばいよってのも描かれていた。『まどか』はあんまり、「ワルプルギスの夜が来ると世界はやばい」ってところまで描けていないから、彼女が世界を救った感があんまり出てこない。
 神になるうんぬんだと、でかすぎるんだって、話が。エヴァにせよリルルにせよ、あくまでも「天使」だったんだもの。そのサイズなんだって。宇宙の改変は規模がでかすぎて、あまり感動できない。
 補強するには、家族との日常を重めに描くことなんだろうなと思います。朝、歯磨きするくだりとか、母親の会社の様子の経過をちらと語らせるとか、父親の料理をしっかり描写するとかを毎回くどくても入れて、「なんでこの辺毎回入れるの?」と思うくらい入れておくと、あのラストの土手のシーンがもっとぐぐぐっと来たでしょう。

 てなことを言いましたが、とてもよくできていると思います。いちばん好きなキャラクターは魔法少女たちでなく、まどかのお母さんです。ちなみにまどかの母ちゃんの声優は朝比奈みくるの人で、なんと声優とはすごい演じわけをするものだ、とその点もまた惚れ惚れです。こんな演じわけは、声優以外には絶対できませんから。
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