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始祖の死を終焉とするのは、信者の態度ではないのだよ。

 またマスカッツの話かよと思われそうなところですが、映画の話を淡々と始めるほど冷静なたちではないのでございます。今、政治の話とマスカッツの話以外、いったい何を話せばいいというのです。

 マスカッツは解散を発表しましたが、それをもって終焉と考えるのはずいぶんと偏狭な話でございます。むしろぼくたちはその後の、さらなる大物を待ちわびる必要があるのでございます。それがマスカッツを超えるものであることを願うのでございます。

 解散を契機に考えてみるに、マスカッツというのは完全体とはほど遠かったのであります。AV女優を中核としたユニットではありましたが、AV女優のみによって完成されたものではまったくなかった。メンバーの半数近くをグラビアアイドルが占めていたのです。
 
 実を言えばぼくはそのことが不満でならなかった。グラビアアイドルをメインとした企画などが行われるたび、「そっちはどうでもいい。もっとAVチームを映せ」と思っていたのです。このブログでも、再三にわたってAV女優を祭り上げてきた一方、グラビアアイドルには言及しなかったというのは、そういうわけであります。AV女優至上主義者でございます。

 むろん、グラビアアイドルにも意義はあった。単体としては市場で日の目を見なかった者を取り込むことで、マスカッツは拡大した。しかし、結果としてAV女優メンバーを超えるような存在は、ついぞ出てくることがなかった。理想的な布陣とはほど遠かったのであります。マスカッツの新人加入はAV女優に限定してほしいと、ずっと思っていたのです。

であるならば、ぼくはマスカッツ以上のものを求めたく思うのでございます。
 ご想像くださいませ。AV業界が一丸となり、単体女優の精鋭を結集してグループを結成し、それが既存アイドル界に殴り込む姿を。それはなんと香しき光景でありましょう。マスカッツなきあとでマスカッツを超えるものを求めるとは、つまりそういうわけでございます。マスカッツの解散を単に嘆き悲しむ者は、マスカッツの本義を理解しておらぬのでございます。かつて、メンバーである西野翔様は、テレビ番組に出演したとき、「恵比寿マスカッツはAV女優の夢なんです!」と高らかに叫びました。これは「AV女優がマスカッツに入ることを夢見ている」という意味ではありません。「マスカッツには、AV女優の夢が込められている」ということでございます。

 そういうわけで、ぼくたちは心折れることなく、次の可能性を模索する必要がございます。マスカッツを継ぐ者を、探していく必要があるのです。始祖の死をもって終焉とするのは、信仰する者の態度ではあり得ぬのです。

 さしあたって見つかるのは、AKBを堂々とぱくる「SOD国民的アイドル」であります。これがまた、アイドルソングとしてはかなりよい。初めはただのパクリじゃないかと軽視しておりましたが、いざ聴いてみると、曲としてのよさはなかなかのものがあります。AKBの元曲よりいいのです。面白い試みであります。古きSODが持っていた革命の遺伝子に期待するのであります。大槻ひびきさんなんて人は、とても可愛らしいのであります。
 





 そして他に挙げられるのはアリスJapanの仕掛ける「ありすた~ず」です。マスカッツの主要メンバーの多くもこのアリスからAVデビューとしている。新人発掘界の猛者であります。その意味では、このアリスJapanにも、マスカッツの残した種子は息づくことができるのではないかと期待しております。ちなみに、一時期マスカッツにいた優希まことさんがいます。


 もうひとつは「BRW108」というもので、これはしかしよくわかりません。マスカッツのメンバーも一員とされているようなのですが、全体としての活動歴はなく、いわばゆるい連合体のようなものなのでしょう。しかし、このような連合体を中心として、マスカッツの種子が受け継がれていくのは有意なことであります。「PINKEY」というユニットが組まれてCDデビューもしているようですが、前者に比べるとアイドル楽曲的快楽にはずいぶんと乏しいのが難点であります。

 かように、いまだマスカッツに比べれば小さなものばかりでありますし、個々での躍進はさほど期待できぬのが現実でございますが、「種子は受け継がれるべきもの」という思想に基づき、今後も活動を見守っていくのでございます。そして現段階で当然第一に願うべきは、マスカッツのメンバーを中心とする新しいユニットの結成。純粋なるAV女優ユニットとしての再生。希志あいの様や瑠川リナ様などの野心に期待するものでございます。
 いずれにしろ求められるのは、蒼井そら様のような突破的存在。これが今のAV業界にはいない。そこが難しい状態です。マスカッツの誰かがそうなってくれるのを希いながら、
とりあえずはこの辺で。
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 恵比寿マスカッツの来年四月解散が発表されるにいたりまして、ここに思うところを述べる次第でございます。

 解散発表と、衆議院議員選挙ならびに東京都知事選挙が同日であったことは、ある意味でとてもありがたかったのであります。どちらも好ましからぬ結果ゆえに、日を隔てていれば二度落ち込むことになっていたかもしれぬわけでして、このように両方の出来事が重なり、なんだかもうどうでもよくなるような気分になれたのは、不幸中の幸いでございます。

 十六日に行われたコンサートでは、事前に既に「重大発表がある」と告知されており、よもやよもやと幾分の覚悟はあったものの、それが現実化するとは思わず、ただ驚いたのであります。心にぽっかりと穴が空いた気分であります。

 以前より、マスカッツには両義的な思いを抱えておりました。
 ひとつには、もどかしさでございます。
「おねだりマスカットSP」を観ると、なぜこんな企画で、なぜこんな編集で、なぜあのメンバーを差し置いてこのメンバーでと時折いぶかしくなったり、あるいは憤りたくなる面もございました。自分を作り手に加えてくれたならもっと面白くできるのに、もっと映すべきものを映せるのにと思いながら、その週の放送を観終えること多々でありました。
 
 そしてそう思わずにいられぬのは、グループ自体がさらに大きな可能性を秘めていたゆえであります。メンバーの過半を占めるAV女優、その存在。彼女たちには芸人にもその辺のアイドルにも立ち入れぬ領域へと踏み込める、特異な身体性が宿っていた。前の記事で述べましたように、他のアイドルがすべて「聖女」であるのに対して、「売女」という側面を宿していた(逆走!)。
 それは人々の価値観を揺るがせるに十分なものなのであります。アイドルがたたき売りする処女幻想、それを堂々とぶち壊す存在。人々がひた隠しにする欲望、押し込めている欲望を、体現しながら生きる肉体。とかく賤業に観られがちなAV女優を、表の世界へと放つ依りしろ。彼女たちは保守的な秩序に立ち向かいうる存在だったのであります。

 しかし、まるで世間が思い切り反動に傾いたのとリンクするかのように、このたびの知らせが届いた。たまたまの偶然に過ぎぬことでありましょうが、選挙の結果とも重なるような出来事なのであります。

 大変に残念なことであります。自分事以外で、こんなにも残念に思うのは、そうそうあることではございません。

 ことによっては、拡大路線を目指せるのではと夢想しておりました。
 単体AV界には続々と有望なアイドルが生まれている。彼女たちを取り込み、代謝を繰り返すことによって、AV界そのものがアイドル界に殴り込めるような勢力になってくれるのではないかと、夢を見ておりました。そしてマスカッツはその中核を担う恒久機関たりうるのではないかと、夢を見ておりました。闇が光を喰う。その瞬間を希うものでありました。それが、なんたるかな。夢半ばの凶報。

 総合演出を番組開始当初より務め続けたマッコイ斉藤氏は「絶頂期に解散させたかった」と表向きの理由を語ってはおりますが、それはおかしな話でございます。僭越ながら申し上げるに、絶頂期など何も迎えてはおらぬのです。スポーツチームで花形選手が全盛期を終えようと、そのチーム自体は続けられるはずなのです。かつての四番やエースがその勢いを無くすことがあったとて、希志あいの様、瑠川リナ様のような大型ルーキーを今後も取り入れることによって、チームは上昇の可能性を多分に孕んでおるのです。そりゃあ一期メンバーも年をとるし、今後の身の振り方を考えることもありましょう。しかし、だからといって、せっかくつくりあげた尊い中核を、放棄する必要がありましょうか。AKBの可能性はしょせんAKBの発展で終わり。ももクロの可能性はしょせんももクロの発展で終わり。しかし、マスカッツはそうではなかった! その向こうには、もっと大きな可能性があった! 既存の秩序と価値観と勢力構図を一変させる種子がそこにはあった! 肥沃なる大地に芽吹いた瑞々しいみのり、あるいはその中心となる大樹。それを捨てるとはいかなる暴挙でありましょう!

 とはいえ、むろん、そこにはやむを得ぬ事情もあったことでありましょう。ぼくの知るべくもない業界的事情があるのでありましょう。もしも仮に、解散までの期間で、これが覆ることがないというのであれば、ぼくたちは次の種子を探す必要がございましょう。マスカッツの開拓した大地を継ぐ者、その訪れを待ちましょう。日本の政治が党派の枠組みを超え、よりよき未来を実現する日を待つかのごとく、DMM、SOD、アリスJapan、h.m.p、桃太郎映像、KMPなどが結集してユニットをつくり、既存のアイドルを打ち破るような一大勢力となる日を待ちましょう。

 ともかくも、まだすぐの解散というわけではございません。四月以降に新たな枠組みがあり得るし、マスカッツを範とする野心的な仕掛け手が出現するとも限りませんし、あるいはすべてが杞憂に終わり、活動は継続され、「あの頃ぼくらはひどく若かったよね」と今日の日を振り返ることができるかもしれません。

本当に答えが出るその日まで、ぼくたちはともにある日々を愛でようではありませんか。
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うまいことやっていますねえ、「アイドル=聖女」の枠組みの中で。
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 つまるところ、宗教たるものはその信者にとって一等尊いものであり、信仰せぬ者においてはほとんどどうでもよい代物なのでございまして、ぼくなどにはもう一ミリとも響かぬものであったというのは、致し方のないことなのであります。しかしなんでも、最近では元メンバーの方がなんとあのイエス・キリストを超越なされたということで、だったらもういっそのことオバマもロムニーも蹴散らして大統領になればよかったのにと思いもするのですが、そこまで言うなら観ておこうと思って、観てみたの。

 ただですね、申したとおりに、この映画はある種の宗教映画でございますから、異教徒のぼくがどうのこうの言うのも唇寒い話なんですね。その信者の方々が満足されていればいいわけです。非常に話を続けにくい状態であります。変に絡まれるのも、面倒くさいだけです。

 異教徒なりに思うのは、「うまいことやっているなあ」ということですね。表だけではなく裏も見せまっせと。観る者に「おお、これが裏か」と思わせる。宇多丸さんは、「アイドル映画の臨界点だ!」とおっしゃっていますが、要するに、「AKBに惹かれる程度の人たち、を満足させる程度に、裏」なんです。うまいことやっています。さすがですね。

 たとえばあの選挙のくだりですね。誰が何位だ何位だ、一位だ二位だと。で、華々しいあのステージの裏ではこんなことがあったのだと。そういうのをファンは観たいわけで、そのニーズにきちんと応えているんです。うまくやっています。ただ、ぼくは異教徒ですので、一位とか二位とかってことがもうどうでもいいわけです。何をこの人たちはそんなことに熱くなっているのかな、とぽかんとするのです。

 ツタヤに行くとポップに「ジャンル:戦争ドキュメンタリー」とか書いてあったり、宇多丸さんもそんなようなことを言ったり、あるいはこのグループが「社会現象」として語られたりする。そこまで言われると困ってしまいます。当然本当の戦争はそんなものではあり得ないわけですし、世界でも昨今政変ラッシュが続き、日本でも与党が変わろうとしている。そちらのほうに重きを置いて社会を眺めている人間からすると、何を熱くなっているのかまるでわからない。オバマとロムニーの戦いには注目しました。都知事選にも衆議院選挙にも注目します。中東情勢にも注目します。現実社会のことですからずっと重いわけです。そんな時代にあって、「これはもはや戦争ドキュメンタリーですよ!」みたいなことを言われても、ねえ?

 ぜんぜん関係ないようですけど、大統領選とか自民党の動きとかを眺めながら、近頃は右翼と左翼について考えたりしていて、三島由紀夫の市ヶ谷駐屯地での演説などを動画で観たんですね。すると、ぐうっと胸に迫るものがやはりあるわけです。その思想はどうあれ、ああこの人は本気の本気で日本を憂い、行動に出たんだなと感じ入るものがある。そういうのを観ていると、「票数は愛です!」「うおーっ」みたいなのは、ねえ?


(ちなみに、ぼくは憲法の改正は条文によっては実行されるべきであろうと思っていますが、今の自民党程度の草案には賛成できません。)


こういうことを言うと、アイドルに浮かれることを悪く言っているように思われそうですね。でもそうではありません。異教徒と申し述べたように、ぼくはぼくで恵比寿マスカッツを信奉しております。恵比寿マスカッツ信者の切り口で、ちょいと話します。


 恵比寿マスカッツは主要メンバーがAV女優であります。彼女たちは普通のアイドル的活動をしながらも、その一方ではAVに出演している。ペニスを咥えヴァギナを舐められ、涎を垂らし小便を垂れ、アナルを露わにしファックに喘いでいる。そんな姿を堂々と見せている彼女たちは既に、十分すぎるほどに十分な「裏」を見せているわけです。恋愛禁止だと処女幻想を振りまくなど、彼女たちには端からあり得ない作法です。 

信者としては、その振れ幅に魅せられる。彼女たちは単なる聖女ではない。聖女と売女の両面を露わにした、類い希なる存在として顕れている。そういうものに魅せられている人間からすると、あまりにもどうでもよいものに見えてしまうのです。 
 世の人々は聖女を崇め、売女を誹る。彼女たちはその誹りをも覚悟の上で、その裸体を晒している。その心意気を買わずして何が日本男児でありましょう!

 こういう異教徒にとってみれば、傷つきながら夢を見られても、どうでもいいとしか言えぬのです。マスカッツの作品それ自体が持つドキュメンタリー性に比べれば、と思ってしまうのです。けなしているのではまったくありません。聖女を聖女として崇めたいのなら、どうぞどうぞご覧になって頂くのがよろしかろうと思います。
 ただひとつ、確か、イエス・キリストは人類の原罪をその一身に背負い、人々は彼を信ずることで神からの赦しを得るのだろうと思うのですが、この文脈に照らすならば、AKBの元メンバーがキリストであろうとは信じられません。AKBはこの映画をもってしても、「アイドル=聖女」の枠組みをなお遵守し続けているのです。

 恵比寿マスカッツは己が売女として石を投げられることをも覚悟しながら、僕たちの下卑た欲望を肯定し、生を肯定する存在なのであります。「おまえたちが生を受けたのは、かような営みがあってこそなのだ」と教えてくれるのであります。最初の人類たるエヴァは知恵の樹の実を食べ、裸体に恥ずかしさを覚え、楽園を追放された。であるとするなら、原罪を背負いながらも陰部を露わにするマスカッツの営みは、ヤハウェへの挑戦であり、サタンとの融和であり、原罪の超克なのであります!

 そろそろ何を言っているのか、自分でもよくわからなくなってきましたが、まあ、もうなんでもいいや、ええと、(適当に締めておいたほうがいいな、そうだな、よし)、

 AKBと恵比寿マスカッツをこれ以上引き比べるようなことにならぬように、どちらでもないこのユニットのPVで、平和的に締めましょうか。

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