「ほっ」と。キャンペーン

<   2014年 03月 ( 2 )   > この月の画像一覧

議題1.1

次に書くはずの「議題2」というのは実はなんというか身も蓋もない、それを言っちゃあおしめえよ的なところがあるので、その前にひとつ考えておきたい議がございます。

「映画を観る→感想を書いて考えを深める」という作業は今のぼくからはやや遠いので、ここはひとつ、「映画を外側から眺めてみよう」という試みなのであります。

 議題としては「映画はこの先、ゲームに勝てるのかい?」です。

 リュミエール兄弟が映画を発明してから100年以上が経っているわけで、映画というメディアはかなり完成されている=飽和しているように見受けるのですが、一方ゲームというメディアはまだまだ躍進中の時代です。

 というか、もはや映画を内包する段階に入ってしまっているんじゃないかと思います。

 いまや映画EDのぼくですが、youtubeでゲーム動画を観るとはまってしまうのです。
 実際にやらないのかというと、これはやりません。なかなか時間が取れないからです。いや、こう書くとまるで忙しい人ぶっているようなので言い直します。ひとたびゲームを始めるとどはまりしてしまうだろうから、やれないのです。ゲームならいくらでも時間を忘れてやってしまうたちなのです。そういうわけで、見知らぬ人のプレイを観て、我慢しているわけです。ちなみに言うと、実況付きは嫌いで、淡々とやっているのが好きです。著作権法とかそういうのは知りません。

 これがまためちゃめちゃ面白いのですね。もはやこれは映画以上じゃないのか! という感動さえ覚えてしまう。自分でプレイしたらさらに面白いのだろうと思うと、いまさら映画を観ようという気がどうにも失せてしまう、とまあこういう要因もあるのです。

 はっきり言って、映画というのはたいていが他人事です。アメコミヒーローが勢揃いしようが、ピクサーのキャラクターが可愛かろうが、他人事であります。ゲームも同じようですが、これは違いますね。やはり、自分が主人公を動かすことによる没入感というのは観ているだけのものとはぜんぜん違ってくる。自分がその世界に入っている、この主人公は自分だ、という同期感覚は間違いなく映画以上です。

 それにくわえ、今現在のPS3、PS4レベルとなるともはやゲーム中のムービーが映画そのものでありますから、こうなると単に観ているだけの映画というのは到底勝てないんじゃないか、とそんな気がしてしまうわけです。物語の傍観者より、物語の中に入るほうが面白いのは、当然のことなのです。

 もうひとつ言うと、おお、ここまで進化したのか! という感動がゲームにはまだまだ強いわけですね。これが映画にはない。映画の場合はむしろ一周回ってしまって、「こんなすごい映像だけど、結局CGだろ」と思ってしまう。逆にゲームだと、「おお、CGでここまでやれるのか!」と思う。こうして書くとかなりゲームびいきの面があるわけですが、ファミコンやゲームウォッチの頃からやってきた人間からすると、その進化に感動を覚えてしまうのは致し方ないのです。個人的には興味がないのですが、たとえばキネクトを駆使した、体を動かして進めていくタイプのゲームもある。いろいろな遊び方がまだまだ考えられるわけで、こうなるとSF映画やアクション映画、ホラー映画の類は果たして勝っていけるのかと、疑問になってしまいます。ミステリーなんかもそうですね。あとは恋愛ゲームなどにしても、さらに高度化すれば、恋愛映画を超えてしまうかもしれない。

言い方を変えるなら、たとえば何か映画を観たとして、「ああ、これゲームにしたらもっと面白くなりそうだな」などとも思えてしまう。その時点で、映画というのは果たして本当にこの表現に適したメディアなのか? という疑義申し立てができてしまう。映画というもののありがたみが、間違いなく薄れた時代にあるなあと思うのです。

ゲームの映画化、というのがもはやさっぱりありがたみのない時代になりました。今度は逆のほうにありがたみが出ていくんじゃないですかね。過去にも映画のゲーム化というのはありましたけど、たとえば今のクオリティで、『ダイ・ハード』とか『ロボコップ』とか『インディ・ジョーンズ』とかをつくったら、それこそ本家以上に没入してプレイできるものになるんじゃないか。そんな気がしてしまいます。

 あえて喧嘩腰の物言いをしてみるなら、「映画? 既にゲームに超えられたメディアじゃないか。映画はゲームになれないけど、ゲームはもう映画を内包しているよ」

 もちろんぼくはそうは言い切りません。今まで感動した映画も多くあるので、たやすく上のようなことは言い切らない。でも、そう囁くのよ、私のゴーストが。

 それでも映画を観る価値はあるのか? 特にアメコミものだのSFだのホラーだのといった、とっくにゲームに超えられたものを観る価値はあるのか? 確かに映画が帯びてきた物語性というものはある。でも、そんなものはもはやゲームだって持っている。尺が取れる分だけ、小ネタが挟みやすい分だけ、物語性はゲームのほうが深くなりさえする。さて、映画はゲームに勝てるのか? とこういう話になるわけであります。ハイクオリティなゲームは映画に比べれば少ないし、ゲームは時間も取られるし、という消去法的な理由で観ているに過ぎないのか、はたまたそうでないのか。

こういうことも考えると、またまた映画は遠くなるのですが、さていかがでしょう。
 映画を外から眺める試みとして、ゲームと対比したらこんな感じになってしまいました。
 ぜひとも、いやいや、映画を舐めるな、ゲームなどは到底及ばんよ、というお話をお聞かせ願えればありがたいなあと思います。

 下に示すのは、人のプレイを観ているだけで面白い! と思ったゲームの例であります。 MGS5がここにもうすぐ加わるだろうなあという予想が硬いです。


d0151584_1585769.jpg

d0151584_5444871.jpg

d0151584_1584737.jpg
d0151584_158322.jpg
d0151584_1581928.jpg

[PR]
はあ、ふう、半年以上ぶりなのでございます。
「映画評を書く」という行為が日常から消え去りまして、するってえともう再開するタイミングもねえなあ、いろいろ忙しいし、ということで、半年以上放置していたのでございます。

 先んじて申し上げますに、いまだ再開の目処は立てていないのでございます。理由は様々にございまして、ここで開陳すべきものもそうでないものもあるという次第なのであります。映画というものが、今のぼくにはいささか遠いものなのでございます。

 そこで今回は、皆々様にご相談したい議があるのでございます。いやいや、相談などと言うとこれはどうにも深刻ぶっている風でよろしくない。まあざっくり言うならば、ぼくは今現在こういう思想を持っているのだけれども、あなたはどうかね、あなたはどう映画に相対しているのかね、聞かせてくれろ、いや別に聞かせてくれなくてもいいけど、くらいのもんなのでございます。

 これまで通り、うろうろとした要点の見えにくい書き方は健在ですが、タイトルをつけるなら要するに、「今のぼくと映画の距離感」みたいなもんなのです。ええ、まあ。

議題その1。「ハリウッド的娯楽作品にはもう何の食指も動かなくなっちゃったのよ」

これなんですねえ。うん。
 なんかもう本当にどうでもよくなっているのです。どうしてかなあと突き詰めて考えていくと、前にも書いたことですが、「もはやあの頃のような感動など得られない」ということなんですね、要は、ええ。つまりですね、たとえばアメコミヒーローものとか、怪獣とロボットの激突とか、宇宙空間で重大なミッションとか、まあ何でもいいのですけれども、たとえばそういうものがありますね。で、すごい映画だとなれば、わっしょいわっしょいと皆がまあこうなる。しかしですね、どうなんでしょうか。皆さんは「あの頃のような感動」を得られているのでしょうか。

 ぼくなどはウルトラマンとか仮面ライダーとかが大好きな子供だったわけですね。
VHSテープの映像に釘付けになり、日曜の朝のテレビ放送ではライダーが敵を倒した余韻に浸り、エンディングテーマとともに飛び跳ねていたのです。見えない敵と決死の格闘を続けていたのです。音楽テープを買ってもらったとなれば、それがたとえ公式発売のものではない、どこのおじさんが歌っているのかわからないようなテープであっても、まるで厭わずにちゃぶ台の上からジャンプキックを繰り返していたのです。一言で言えば、全身で感染していた。自分は将来ウルトラマンか仮面ライダーになるのだと、本気で思っていた。

 あの頃の感動には到底及ばない、と今のぼくは思ってしまうのです。
 いくら映像技術が発展しても、ぼくは既に、「すごい映像技術だ」という感覚を持ってしまっている。あの頃はそんなことを考えもしなかった。張りぼてのビートルやホーク一号を、本物以上に信じていた。ああいう風に向き合うことはもう、二度とできそうにないと思うと、なんだかしゅんとしてしまうのです。皆さんはこの辺、どうなんだろうとすごく思う。元気よく映画評を書いていた頃の自分に訊いてみたいけど、彼はもういない。そして今のぼくにはわからない。ツイッターなどで見てみても、わあロボットが熱いぜとか、きゃあこのヒーローが格好いいわとかいう声は見られるけれど、どうなんでしょう。本当に皆さんはかつてのような、あの感染と呼ぶほかない感覚を保持できているのでしょうか。あるいは、それらは皆つまるところもの悲しい、「幼児期の再演」に過ぎないのでしょうか。

 フィギュアみたいなもんもそう思ってしまいますね。幼児期には、ウルトラマンのソフビ人形と本気で会話していたんです。大人になったらそんな気は起こらない。せいぜいが集めて並べて、その様子をカメラに収めたりして悦に入ったりして、そんな感じになるわけでしょう。「いやいやそんなことはない、自分は大事にしている」と言ってみても、本当にそうなのか。子供の頃は取り上げられただけで泣きじゃくっていたぜ。今は平気で家に置いていけるだろう、外で活動できるだろう? あの頃みたいな一体感は、もうないだろう? 自分がどう見られているかとか、自分をどう見せたいかとか、あいつより俺の方が詳しいとか、どうでもいいようなことに、足を取られているだろう?

こういう言い方というのは、蒙昧だなあと自分でも思うんです。「そんなことを言ったら新しく感動することなんて、できないじゃないか」「新鮮な気持ちでものを見られなくなったなんて、老いじゃないか」というのは、言われるまでもなく自分で感じていることなんです。でも、拭いきれない感覚として、ある。

 さて、今もなお映画好きでいる皆さんは、この辺のこととどう折り合っているのか。素朴に、知りたいと思います。言ってやりたいことはあるがコメント欄じゃまどろっこしいぜ、という場合はツイッターの方がアクティブなやりとりができますので、そちらでもありがたいです。映画を観るということは、あなたにとって何事であるのか。議題2はまた追って、そのうちお話しできればと思います。
[PR]
←menu