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ぼんくら駄目野郎の話は大好物なのですが……。
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di9tkmtnakrsqhomn さんよりオーダーいただきました。ありがとうございました。

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しっかり野球をやってほしいし、そうでないなら殺し合え。
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2235さんよりオーダーいただきました。ありがとうございました。

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 憲法を変えるべきか否かという論議が、とりわけ第二次安倍政権になって以降、そこかしこに見聞きされるようになりました。この件について、あなたはどちらの立場ですかという問いははっきり申しまして、現段階においてそのすべてが不毛であると思います。メディアはこの不毛な問いを、この後もしばらく続けるのでしょう。

 どう変えるかもはっきりしないうちに、ただ変えるべきかどうかというのはあまりにも意味がない問いです。たとえば、どうでしょう。「あなたという人間は、変わるべきではないですか? どうですか? 今の人生は完璧ではないでしょう? 完璧ではないならさあ変わろうじゃありませんか!」と言われても、返答のしようがないのです。だって、どう変わるのかもわからないから。

 どう変えるかもはっきりしていない。という事実は、改憲を進めたい人々の決まり文句に見ることができます。すなわち、「GHQに押しつけられた憲法だから変えよう」というものです。GHQ、ひいてはアメリカによって押しつけられた憲法を、後生大事に守っていては、いつまでも日本は精神的自立を果たせない。自国の憲法を自国でつくるという当たり前なことをやろうではないか。これについては、ぼくもそう思います。やはり自国の憲法は自国の人々によってつくられるのがよかろうと思います。ここにはひとえに、「敗戦国日本」から脱したいという浪漫があるのです。浪漫はとても大事なものであります。

 さて、しかし、それはとても難しいことです。ことによると大変ブザマな事態を招きます。と申しますのも、たとえば「加憲」であるとか「部分的改憲」であるとか、そういったものを果たしたところで、ちっとも浪漫は実現されないからです。精神的自立は果たせないのです。「8日間で作られたものを、戦後70年経って、国内で散々揉めに揉めたあげく、やっと一部分だけ変えたぞ」というのでは、浪漫を抱いた分だけあまりにもブザマ。沽券に関わります。一部分だけやって風穴を開ける、みたいなことをおっしゃる人はありますまい。浪漫が泣きます。

 それなら一字一句変えないほうが、まだ格好が付くのではないかと思います。一字一句変えずに、いつか日本がアメリカを超えるような国になってごらんなさい。いや、ある意味で既になっているわけですね。「戦争で自国民を死なせるようなことがない国」を実現したわけです。これを永久に守り続けることが、護憲派にとっての浪漫というわけです。浪漫と浪漫のぶつかりあいがここにあります。

 だからこそ、「押しつけられた憲法だから変えるべき」派の人たちは、全部変えなくてはなりません。ぼくも究極的にはこの立場です。でも、だからこそ、今の改憲派の人たちには、なんとも頼りない感じがして仕方がないのであります。

 自民党は数年前に、改憲草案を発表しました。あれが結党以来、改憲の志を抱き続けて半世紀以上経った末につくられたものであるとするなら、はっきり言って、憲法を変えるに足る知性のようなものが、完全に欠如していると言わざるを得ません。誰からも文句を言われないようなものはできないかもしれない。でも、改憲したいと願い続けて、できたものがあれでは、本当にどうしようもないではないですか。ある議員はあの草案を「たたき台」とおっしゃっていましたけれども、台が腐っていては立つものも立ちません。

 中身もろくに考えることもできずに、変えよう変えようと言っている下品さ。
 ぼくはここで、ある恐るべき考えを抱いてしまいました。
 彼らは、憲法というものを真剣に考える気がないのではないか?
「なんか憲法っていうのがすげえ大事にされてるみたいだしさ、それ変えたっつったらすごくね? なんか、すげえことやった感じしね?」程度でしか考えていないのではないか? そんなことはないって? 誰が信用するのです。50年掛けてあんなものしかつくれない人たちを。それでいて、「8日間でつくられて押しつけられたものだから駄目だ」などと言っているような人たちを。
 
 いったい、何を急いでいるのでしょう。まさかとは思いますが、「安倍政権が続いているうちに変えよう」「盛り上がってるうちに変えよう」みたいな、クソつまらない考えでいるわけではないでしょう。しかしもし仮にそうだとしたらきわめて国辱的な、憲法のことなど何も考えていない、単に自分たちの自己顕示欲求のみに支配された連中だということになります。いや、まさかそんなはずはないでしょう。読み流してくださいませ。

 本当に自立的な憲法をつくりたいなら、落ち着いてやればいいのです。たとえば今から五年間、超党派の議員や学者たちを集めるだけ集めて、じっくり議論する。もちろんその間も適宜メディアに議論の模様を公開していき、各条項についても意見を募る。そして五年後、どこに出しても恥ずかしくないような憲法草案をつくりだし、国会で発議し、現行憲法とどちらがいいのか国民の投票にかける。それでもし駄目だったとしたら、また五年間、修正を繰り返しながら形を整え、あらためて投票の機会をつくる。

 保守というのは、急激な変化を好まず、それまであったもののよさを活かしながらじっくり前に進んでいこうという立場ではないのでしょうか。それがこの憲法に関してだけは最近、妙に革新めいた動きをしているのが不思議で仕方ない。安倍政権が続いている間にとか、国民の関心が高い間にとか、今がチャンスだとか、そんな視力の悪いことを考えているはずはまさかないでしょうし、だからこそ本当に不思議です。こんな奇妙な状況が続くと、今に不条理文学みたいな事態に陥ってしまうかもしれません。

 たとえば、海の珊瑚を潰して外国の基地をつくりつつ、一方で「環境権」を憲法に盛り込もうとか、そういう精神分裂的な政権ができるかもしれません。あるいは、一方の口では外国に対し「民主主義を教えてくれてありがとう。地球の裏側まで戦争支援に行きます」と約束しながら、一方の口では「外国に押しつけられたあんな憲法は駄目だ」という、変な総理が出てきてしまうかもしれません。もしもそんな内閣があったら、憲法を変えるに足る「格」は当然ないのですが、今のところそこまでひどい事態にはなっていないようですので、粛々と憲法論議を進めるのが良ろしかろうと思います。

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ただひたすらにブロンソンを愛でるための映画
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げこ野郎さんよりオーダーいただきました。ありがとうございました。

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