<   2016年 05月 ( 11 )   > この月の画像一覧

嘘というのは、それだけで物語。
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惜しい点は多々ありますが、程よく楽しめました。
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多幸感系。切なさはスパイス程度で。
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このうえは、マッコイさんに、ビンタをも


 近頃は演出があまりに弛緩しているために、こちとらもまともに評する気になれず、観ながら舌打ちを繰り返すこと多々でありまして、更新も滞っていたのでございます。むろん面白い点もあったわけですが、もったいない部分が目についてなりません。

 ここ4回を振り返ります。


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風合いある小品。
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 前田敦子主演作。80分尺で規模の小さな世界を描く小品ですが、独特の味わいを放つ作品でありました。

 大学を出ても職に就こうとせず、家業も家事も父親に任せきりの主人公、タマ子の日常が描かれます。舞台は田舎町で、家はスポーツ用品店を営んでいます。父親との二人暮らしですね。

 テーマは明白で、「彼女がどう成長するかですね。
 序盤10分はきわめてだらりとしたトーンでセットアップがなされ、その後に父親との衝突があります。「このままだらだらしていても駄目だ、いつになったらちゃんとするんだ」という父親に対し、「少なくとも、今ではない!」と怒鳴るタマ子。

 しかしこれによって突き動かされ、およそ25分の段階で、新たなことを始めようと、アイドルのオーディションに応募したりします。でも、それが周りに露見すると急に嫌になってしまい、まただらけた状態に戻ってしまいます。短い映画なので、中間地点にどん底を持ってきています

 クライマックスへの糸口は、父の再婚。
 父の再婚話が進むことによって、タマ子自体の前進も促されるつくりです。
 再婚するかもしれない相手に父への思いを打ち明けたり、母親に「東京に来る?」と誘われたり、そうしたことを通して彼女はモラトリアムから脱していくきっかけを掴みます。父に「家を出ろ」と言われたタマ子は、「合格だよ」と答え、新たな人生に歩み出す手がかりを掴むのです。

 山下監督作品では『ばかのハコ船』が一番好きで、『リンダリンダリンダ』も好きです。『天然コケッコー』『どんてん生活』『苦役列車』などでも独特の風合いが生み出されているのですが、それらに比べるとやや威力は弱いかな、という感じはどうしてもありました。作品自体が小規模、ということはあるにせよ、同じような「無様な状態」を描いた作品だと、『ばかのハコ船』が素晴らしく、どうしても思い出してしまいました。前田敦子が持つ綺麗さによって、主人公の無様さが薄まってしまう、ないしは綺麗なものに見えてしまう、というのはあります。この映画はアイドルなどではなく、ブスな女優を起用していれば、よりいっそうもの悲しい風合いが漂い、良い意味での無様さが生まれたのではないか、などと考えてもしまいます。『ばかのハコ船』はその点においてもまた、優れた作品だったのです。ヒロインがブスでしたから。

ばかのハコ船 [DVD]

山本浩司/エースデュースエンタテインメント

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 もっとも、前田敦子はその辺の、可愛いとブスのバランスを良い感じで持っている人でもあるので、キャスティングに文句はありません。

 観終えたときは、モラトリアムを脱する上での通過儀礼的要素がやや弱いかな、という印象を受けました。しかし少し間を置いてみると、独り身である自分の父親を再婚相手に託す、という行いが、一種の通過儀礼として機能しているのだなとわかりました。巣立ちのための儀式として、自分を育ててくれた親の幸福を助けるというのは、物語的にきちんと意味合いを帯びています。「合格だよ」という、一見傲岸不遜な物言いは、彼女なりの照れ隠しの意味があるのであって、このような台詞を置く巧みさには、なるほど敬服を覚える次第であります。

 また、食事シーンが効果的です。食事シーンを随時挟み込むことによって、家庭の様子を凝縮して描き出すという手法。食事というのは動物的な意味合いを帯びており、そこには生活の本質、生きるという営みのありようが浮かび上がります。ゆえにして、独りでもそもそ喰ってるシーン、父親と咀嚼音を立てながら一緒に何かを食べているシーンなどが、そのおりそのおりで違う意味を持って伝わってくるわけです。

 地元に帰ってきた同級生、写真店の中学生と彼のヘルメット、そして彼のカノジョの垢抜けない感じなど、田舎くささも随所で描かれていて、ほどよい風合いでありました。お薦めです。


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ミュージカルも効果的な、上品なラブコメディ。
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 ウディ・アレン、ジュリア・ロバーツ、エドワード・ノートン、ゴールディ・ホーン、ナタリー・ポートマン、ドリュー・バリモア、ティム・ロスといった、錚々たる布陣によるアンサンブル型ラブコメディです。ミュージカル・ラブコメディですね。大家族ものでひとりひとりの物語を要点のみ押さえ、ぽんぽん回していく。テンポのよい快作でありました。

大きな筋となるのは、①ウディ・アレンとジュリア・ロバーツの不倫恋愛、②エドワード・ノートンとドリュー・バリモアによる婚約恋愛、そこにナタリー・ポートマンらによるちょっとした恋物語の顛末や、いかれた元服役囚、ティム・ロスのドタバタ劇などが織り交ぜられます。物語にはほぼ絡まないけれど、家で独りだけ共和党支持で、政治的なことばかり喋っている長男ルーカス・ハースが面白かったですね。脇役の支えもしっかり効いている。

 映画には、話を動かすきっかけのポイント、第一幕と第二幕の転換ポイントなどがありますが、そうした要所にミュージカルシーンをきっちり配置している。この要点を押さえているのは非常に大きい。スムーズな進行のための大きな効果を上げています。ミュージカルというのは、「感情の頂点」を凝縮して表現するときにも有用で、この映画で言えば②にまつわる「恋の実り」の様子を描く際、その効果が顕著です。静かな高級宝石店、病院などの場面で用いることで、感情の高ぶりが劇的に演出されています。

一方、恋愛ものにおいては障害の存在がとても重要です。障害があるからこそ物語に緊張感が生まれるわけで、前半では①がそれを担う。ウディ・アレンはジュリア・ロバーツを口説き落としたい、ここでの苦闘がひとつめ。そしてジュリアには旦那がいる。これがふたつのめの苦難。障害を配置することで、恋の危うさが演出されます。もちろん、ウディ・アレンのコミカルな演技や台詞回しが、面白みを引き立てます。

 いろいろなことがうまく行くのが中間点まで。そこで「凶兆」として出現するのが、犯罪者のティム・ロス。②の恋愛を、坂道へと転がしていく。最終的にはドリューを銀行強盗にまで巻き込んでしまい、一度どん底をつくる。また、ナタリー・ポートマンの失恋、じいちゃんの死など、よからぬ気配が映画に立ちこめていく。

 最終的に、②は関係を取り戻すが、①は破綻してしまう。破綻の救済として、ゴールディ・ホーンとウディ・アレンの関係修復がある。クライマックスで二人のミュージカルが出てくるので、できれば前の段階で、この二人の関係をもっと濃く描くべきであったとは思いました。ゴールディ・ホーンは劇中、冒頭部以外はほとんどウディ・アレンと絡まないため、クライマックスで二人が踊っても、物語的カタルシスは決して大きくない。また、②の恋愛にしても、エドワード・ノートンの努力無しに関係が修復してしまうため、カタルシスが弱い。テンポの良いコメディとしてとても面白かったのですが、①と②の筋に関しては、お話としてのふしぶしを、もう少し固めておくとさらに楽しかっただろうなという感じはします。①のほうは、ジュリア・ロバーツがどうして旦那のもとに戻るのか、言葉で語ってしまうだけなので、その点の説得力が減じてしまっています。

 とはいえ、大家族の賑やかさと、タイプの違う二つの恋愛を、愉快なトーンで描いており、とても楽しい作品でありました。お薦めです。

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脚本術のお手本のような良作です。
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 マーク・ウォールバーグ主演作で、監督の長編デビュー作のようです。テッドの声も監督が務めているんですね。
  
クリスマスプレゼントとして主人公に届けられたテディベア、テッドが喋り出し、主人公が成長してからもずっと友達であり続ける、というコメディ。まず設定の面白さとしては、喋るテディベアが「有名になる」というのがありますね。『E.T.』なんかが一番の代表例ですが、この手の映画だとどうしてもそれを秘密的にするものが多いんじゃないかという印象があるし、そうでなくても『ドラえもん』的に、社会の反応はある程度無視して進められがちだと思うんです。でも、これは大人になった主人公にずっと寄り添い続けるという筋を無理なくつくるために、あえて最初のうちに有名にさせてしまう。社会に受け入れさせてしまう。ここを先にきちんと割り切ったことで、観る側に話を飲み込みやすくしている

 作品のテーマとしては、「主人公の成長」譚です。テッドは子供時代のプレゼント、すなわち子供の象徴でもあるので、ウォールバーグは大人になっても子供っぽさが抜けない。それによる問題を乗り越えることが、この映画の重要な軸となっています。話のセットアップの段階で雷が鳴るんですが、これはその後の展開における「凶兆」となっているし、雷を怖がる子供っぽさを表すという意味でも実に優れたやり方です。

大人になった主人公ウォールバーグには、恋人のミラ・キュニスがいます。彼女はウォールバーグより若く見えますが、一方で大人っぽい強さを持った外見。この辺りも対比が効いています。

 二人はベッドに入っていちゃついているんですが、テッドが雷を恐れて飛び込んできて、良い雰囲気を台無しにしてしまいます。ここは「セックスの延期」であり、すなわち大人になれずにいることを象徴する場面。あとの場面でテッド抜きの性的ないちゃつきの場面が観られますが、ここにも対比がある。全体を通してわかることですが、この映画は非常に綺麗な脚本作りがなされています。脚本としてなすべきことを完全にこなしており、それを演出に絡めて行っている。とても巧みです。

 第一幕から第二幕に移行する転換点は、テッドが家から出て行くところですね。これによって、子供の象徴だったテディから主人公は切り離され、成長への道を歩み出すことになる。独りになったテッドの下品なコメディシーンも効いています。結構えげつない下ネタですから、これはテディベアが出てくるわりに、まったく子供向きではないんですね。テディベアがやっているから可愛く見えるけれど、フェラの真似事や顔射の真似事、はては本当に女を押し倒します。コールガールを呼んでうんこさせるとか、普通の大人でもやらない、なんというか、人間だったら相当やばい奴。世のお父様、お母様におかれましては、子供と観ようなどと考えてはいけません。

 でも、それは実は、テッドの子供っぽさでもあるんですね。テッドもまた、大人になりきれていなくて、主人公同様に大人になっていくわけです。

 テッドと別れ、本当の大人にならんとする主人公なのですが、ちょうど映画の中間当たりで、大失態をやらかします。その原因となるのはテッドであり、なおかつ子供の頃から好きだったヒーローなんです。大人になろうとする主人公を、それでも子供時代が引っ張ろうとする。これにより主人公は、大人の象徴である恋人との関係を破綻させてしまう。とても真面目なつくりです。脚本術の見本にしていい作品だとつくづく思います。

 その後、主人公とテッドが大げんかしたり、恋人には誘惑相手が近づいていったりする。よくできた映画は中盤から後半にかけて、どんどん悪い方向に事態が進むのですが、そこを綺麗になぞっている。

 そして第三幕。テッドが怪しげな父子に誘拐されてしまい、そこから逃げだそうとします。なんとか関係修復をした主人公と恋人は、テッドを救いに行きます。主要登場人物三人、そして外敵によって織りなされる、綺麗なクライマックスです。ここにおける演出の白眉としては、テッドの体が真っ二つになってしまうことです。外敵たる怪しい父親によって引き裂かれ、体の綿を振りまきながら胴体が真っ二つになるのですが、ここには「子供だったテッドの死」が象徴される。誘拐犯の子供が主人公によって一撃でのされるのもポイントですね。とにかくこの映画は、「子供時代から抜け出て大人になる」というテーマをちゃんと描こうとしている。

 テッドというのはぬいぐるみですから、肉体的な成長はないのです。裏を返すと、いつまでも子供であり続ける宿命を担っていた。それが、暴力的な形であるけれど、一旦体を裂かれ、死んでしまうことによって、大人へと生まれ変わるわけです。

主人公と恋人が結婚式を挙げるラストは、オープニングとの対比ですね。最初は子供だった頃のシーンから始まっているのが、結婚式という通過儀礼を経て、大人になったことが示される。

 ことほどさように、この映画は細かいギャグやコメディ要素をうまくテーマと絡ませつつ、一切テーマからぶれない。その点において、大変練り上げられた脚本だと唸らされました。お薦めであります。


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たいへんよく練り上げられた脚本です。

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 角田光代原作、宮沢りえ主演の本作は、銀行で働く兼業主婦が主人公。彼女による横領事件をモチーフにした作品です。原作は未読なのですが、脚本的に要点をきちんと押さえた良作であったと思います。

 映画を貫く問いは、「お金をどのように使うと幸福になれるのか」。もしくは「幸福になるためにお金をどう使うべきか」。これが作品の大きなテーマです。

その辺りのことを映画の序盤、宮沢りえによる保険の勧誘という場面で示しているのが大変巧みです。保険というのはまさしく、お金の使い方をめぐる商品。この作品のテーマを一発で表しているんですね。また、勧誘先の老人、石橋蓮司とのやりとりを通して、主人公の人となりや生活ぶりを垣間見せるというのもうまい。この手法によって情報の開示をスムーズに行えているし、そのおかげで場面の密度も高くなっている。

また、同じシークエンスで性的な危うさを忍ばせることにより、この映画における「凶兆」を表現している。のちのちの展開と重なっているし、この序盤の密度というのは大変すばらしいものがあります。序盤で家庭の状況、銀行の人間模様、キャラクターをすべて示し、物語のキーマンたる小林聡美とも大事なやりとりを果たしている。映画全体のセットアップとして、かなり模範的な時間配分です。

真面目な行員だった宮沢りえが道を踏み外していくのは、池松壮亮扮する若者との出会いがきっかけです。彼との秘め事が横領を加速させていくのですが、そこに至るまでの順番もたいへんに綺麗です。

『横道世之介』ではバカリズムに見えて仕方なかった池松壮亮。この映画でも非常に丁度良い若者感を出しています。彼は今とても売り出し中のようですが、作り手の側としては、丁度良いんだと思います。イケメン過ぎるわけじゃないし、映画的風合いになじませやすい顔や喋り方なんです。

この映画も、やろうと思えばもっとイケメンの俳優を使ってもいいんでしょうけれど、きっとそれじゃ駄目なんですね。「イケメンだから惹かれた」だったらわかりやすいけれど、それじゃあこの映画で大事なことが、むしろぼけてしまう。宮沢りえが彼に惚れるのは、イケメンだからじゃない。この映画の要点は「逸脱すること」にあるのであって、ケメン要素、男性的魅力というのはむしろ邪魔ですらあるわけです。

 最初の横領のきっかけが、化粧品を買いたくなる場面。ここは女性的自覚の芽生えとして、映画の軸と繋がっているし、「あとで返せばいいや」という形で着服してしまうのも、逸脱の入り口として非常に説得力がある

 逸脱の開始は、二段階で設定されています。
 ひとつめは、駅のホームで池松のもとに出向く場面。これが性的逸脱の開始。
ここからそれまでの生活とは違うところへ進んでいき、映画は第二幕へと入っていきます。

 ふたつめが金銭的逸脱。池松が金を必要としているのがわかり、宮沢は彼に金を貸そうと申し出ます。性的逸脱が、金銭的逸脱を誘発するのですね。先の化粧品を買う場面、あれを忠実になぞって方向性を定め、話を深めている。

 池松は大学の学費が必要だと語るのですが、「同情すべき理由でお金を貸す」ことは、「善行」でもあります。善行であるがゆえに、観る者は主人公にも共感を覚えてしまうというつくりです。これは善行であると言って、逸脱の言い訳をつくる。逸脱の正当性を善行に求める。この点は、劇中で時折に描かれる少女時代とも通じているところです。言い訳によって、宮沢の行動を説得的に描き出す。観客の気持ちが宮沢を離れないようにつなぎ止めているのです。
第二幕では、平和にして平凡だった宮沢の生活が一変。蕩尽に狂う様子が描かれます。上映時間のちょうど中間点で、幸福の絶頂が描かれます。池松とのホテルでの場面ですね。
幸福の絶頂を描いたということはすなわち、あとは転げ落ちていくだけです。

絶頂のあと、池松の様子がおかしくなるし、小林聡美も異変に気づくし、これまで伏兵的に置いておいた奔放な若手社員、大島優子の正体がわかる。このようにどん底への坂道をきちんとセッティングしてある。大島優子の存在は、宮沢の延命措置となるのですが、一方で傷がさらに深まってしまうということにもなります。

 どん底はもはや明確。池松との別れの場面であり、、クレジットカードが機能しない場面ですね。最初は石橋蓮司の性的視線を嫌っていたはずの宮沢が、逆に彼を誘惑しようとするところなどは、いよいよ彼女が堕ちてしまったのだというのを示す上で、とても大きな効果を上げています。詐欺で金を稼ごうと、存在しない架空の保険をばらまいているところなどは、精神的崩壊をも描き出している。性的・金銭的・精神的崩壊によって、どん底へ突き落とす。巧い。実に巧い。

クライマックスは、秩序の象徴である小林聡美との対峙。
過去の回想場面によって、宮沢の動機をあらためて補強してみせたうえで、小林との直接的なぶつかりに強度を与えている。第一幕、第二幕の総括を宮沢自身が行い、自分が進むべき場所がどこなのかを、そのときもなお考えさせる。そして、ガラスを割ることで、宮沢は秩序の世界から逃げ出す。

 最後のシーンは海外。一人の男性に出会う。自分が募金した相手ではないかと想像させる相手で、彼との語らいもないままに、宮沢は姿を消してしまう。

ラストの部分が、悪く言えば曖昧な形で決着しているところはやや残念であるものの、全体としてはきわめて精巧なつくりであり、脚本的にはとても勉強になるものでした。
 お薦めです。


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テーマに惜しさはあるにせよ、出色のゾンビ映画だと思います。
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 『HUNTER×HUNTER』よろしく、連載と休載を繰り返すことでおなじみの当ブログですが、また(たぶん一時的にですが)記事を流そうと思います。以前はだらだらと思いつくままに語っていたのですが、形式を変えて、脚本の流れを追うような形で書いていきます。

 今までのだらだら語りに比べると遊びの部分が少なく、客観性を高めているので、いわゆる「評論」に近しいものになろうかと思います。また、時間を節約したいので画像キャプチャはありません。だらだら語りを楽しんでくれていた方がいるとすれば申し訳ありませんが、これまでとちょっと違うものになります。もっぱら自分のために書くのでネタバレ全開です。しばしの間ですが、もしも読んでくれる人がいたら、またよろしくお願いします。

 さて、『アイ・アム・ア・ヒーロー』です。

 評価の高い作品である一方、クリティカルな批判意見も目にしたので、気になって観に行きました。原作は途中まで読んでいて、確かクルス編の途中くらいでストップにしてしまいました。細かい内容などは覚えていない部分もあるので、原作との異同などは考えず、一本の映画として観ていきたいと思います。

 大泉洋演じる主人公は漫画家のアシスタントをしていて、オープニングは仕事場の場面。
 序盤では漫画家を目指しつつも、花の咲かない状態が続いているという現況が示されます。持ち込み原稿を没にされたり、同期の漫画家との格差を示されたり、同棲相手に早く夢を諦めろとどやされたり、かなり辛い状況にあるのがわかります。

 話の中心はゾンビシーンになっていくわけですが、オープニングシーンで奇妙なニュースが流れ、かなり早い段階でその「凶兆」が示される。これは大きな美点です。その後もちらほらと怪しい影が出てきたりして危険を予兆させます。この映画は序盤、ほぼ音楽を用いていなかったんじゃないでしょうか。日常の静けさを演出し、あとのパニックシーンに繋げるうえでも効果的でした。

 この映画の肝がゾンビ描写/ゾンビサバイバルにあるとすると、その点は抜群の出来であったと思います。最初に変容をあらわにするのは同棲相手の片瀬那奈。ここのゾンビ描写は満点だと思います。ロメロ的なゾンビでもなく、アメリカ映画のゾンビと違うものを造型できていて、ツカミとしてはパーフェクト。それまでずっと抑えめのトーンで進めていた分、ショックシーンとしても効果絶大。ゾンビ映画にはその数だけ「ゾンビとの初遭遇シーン」があるわけですが、その中でもトップクラスにいいんじゃないでしょうか。

 その後、映画は明確に第二幕へと移行します。主人公は所持していた銃を抱え、漫画家の仕事場に行き、そこでも知り合いたちのゾンビに会う。細かい演出で言うと、主人公があの仕事場に土足で上がるんですね。あれが第二幕(=非日常)への決定的なターニングポイントを示しています。ここでもゾンビ描写がいい。人相がまるまる変わってしまうのは原作でも同様でしたが、あれで一気に人称性がなくなるんですね。

 街のパニックについても、日常が秒音ごとに侵食されていく様子が巧みに活写されていた。日本の、東京の街並みをうまく非日常化させていて、ワンシーンの中にエスカレーションがあった。直後にカーアクションも盛り込んでいて、ここもたいへんよかった。同棲相手の変容から第二幕序盤にかけては非の打ち所がありません。

 この過程で、ヒロインの一人である女子高生、有村架純と出会います。彼女と出会った主人公は、富士山を目指します。ネットの噂で、ウイルスが届かないと言われているのです。その道中で神社に立ち寄り、二人は仲良くなるのですが、ここは個人的に少しもったいなさも感じました。よく解釈すれば、それまでの危機に次ぐ危機のあとで、観客を一度緩和させてくれるシーン。しかし少しほっこりしすぎというか、打ち解けすぎの感も強いです。メロンパンを分け合う「食事効果」を踏まえているのは美点ですが、有村が大泉に平気でため口を使っていたり、音楽を聴いて安らいだりというのが、どうにも急な感じがしてしまった。

 ただ、事情はわかる。これは仕方ないんですね。というのも、彼女は直後にゾンビ化してしまうんです。それも主人公を襲わない半ゾンビになる。主人公は彼女に危機を救ってもらったこともあり、捨て置けなくなる。彼女を後半まで連れていく都合上、短い時間で二人の仲を接近させておく必要があり、強引にでも仲の良さを詰め込まねばならなかったのです。

 半ゾンビとなった彼女を連れて(カートに乗せて)、主人公は歩き始めます。着いた先はショッピングモール。ゾンビに襲われていたところを、もう一人のキーパーソン、長澤まさみに助けられます。モールでは吉沢悠をリーダーとするコミュニティが築かれていて、ほっと一安心。ここが映画の真ん中部分に当たります。

 映画の流れとして、中間地点に「束の間の解決」を置くのが綺麗なんです。そのあとに危険度を上げていくのが理想的この映画はその点をちゃんと踏まえています。多くの人が建物の屋上に逃げており、平穏を享受しているのですが、一方ではゾンビの危機もあり、組織内の不和もあるんですね。

 主人公の危険度が上がったのは、銃を失った部分。連れていた女子高生がゾンビであることもばれてしまい、組織内の不和も高まり、それまでよりも危ない状況に陥ってしまいます。自分のふがいなさを嘆く場面もあるなど、精神的な弱さもここで示されます。

 その後、食糧を得るためにモール探索に出るのですが、組織にいた岡田儀徳がリーダーの吉沢悠と反目してしまい、その結果として悲劇が増幅します。尺の都合上、反目の経過や吉沢悠のキャラなどは、やや性急なままに進んでしまった部分がありますが、致し方ないところでしょう。

建物の中でゾンビの大群に襲われ、仲間たちがどんどん死んでいく。安全圏であったはずの屋上も、あるゾンビの出現で崩壊してしまい、「束の間の解決」の反対である「どん底」へと至ります。

 その間、主人公はロッカーに隠れてその場をやり過ごしていました。第二幕から第三幕に移行するのは、彼がロッカーから出て行く場面。屋上にいた長澤まさみたちを助けるべく、勇気を振り絞って出て行きます(ちなみにこのとき、ロレックスをたくさんはめていたために助かるという描写があります。あれは序盤の片桐仁のくだりと繋がりのある展開ですね)。

ここからはクライマックスで、満足感を味わわせてくれる詰め込み具合でした。細かい経過は省きますが、これでもかというくらいにアクションを詰め込んでいる。多少しつこいかもしれませんが、しつこいくらいが丁度良いんですね。

この映画の第三幕がカタルシスを生むのは、銃の存在ゆえです。それまで主人公は一切銃を撃てなかった。それがここに来て、これでもかと撃ちまくる。これが大きな要因です。アメリカではゾンビを序盤から撃つのが当たり前ですが、日本ではそうもいかない。そこを逆手にとっての使い方としては、この上ない方法ではないかと思います。

 映画的に言うと、銃の発砲は男性性を担うものでもあります。すなわち、これまでずっと自分の男性性に自信を持てなかった主人公が、いよいよ第三幕でそれを発揮するんですね。中盤では女子高生や女性に助けられていた主人公が、ここに来てその二人を守る。作り手は明らかに「男性性」を意識している

 ラストは三人で車に乗って逃亡。結末を迎えます。ここに及んで、有村を半ゾンビ化させたことも意味を持つ。大泉と長澤と有村の関係は、父と母と子供の形をとるんですね。映画の途中、有村をカートで運んでいたでしょう? あれは赤ん坊のメタファにもなっているわけです。主人公は艱難辛苦の末に男性性を獲得し、妻子を守り、父へ至るという流れなのです。

 映画の序盤において、主人公は同棲相手との間に家庭を築けずにいました。そして、その相手を失ってしまった。序盤と結末にリンクが観られる点も美点です。惜しむらくは、序盤のテーマ設定。「漫画で成功したいんだ!」という動機をセットしたのはいいのですが、その背景にもっと、同棲相手への意識があればなおよかった。そうするとリンクの糸がさらに太くなったように思われます。同棲相手の存在/欠損をもっと意義深く描けば、女子高生たちを助ける動機がさらに補強されたのではないかと、思ったりもします。ゲームの『ラスト・オブ・アス』において、主人公のジョエルは娘を失い、その面影をエリーに重ねていた。たとえばああいうことです。

もうひとつの惜しい部分は、有村がなぜ半ゾンビに留まったのかですね。「赤ん坊に甘噛みされたから」というのがエクスキューズになっていますが、ウイルスってそういうことなのか? という疑問は残ります。有村と大泉の結びつきはあくまでも、にわかな出会いによるもの。であるため、彼を決して襲わない善良なゾンビになるのも、少しご都合主義的な感じがしてしまうわけです。

 ただ、そこまで突っつくのはしつこいかなとも思います。二人はカーアクションで、力を合わせて死の危険を乗り越えた。その点を踏まえ、絆が強まったとも言えるし、映画の制限時間の中で、できうるだけの工夫をしている。その点はすばらしいのであります。

 全体を通していえば、非常によく整えられた快作であると思います。
 お薦めであります。

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 今週のマスカットナイトは総集編ということですから、あまり語ることもありません。
 お休みにします。

 それよりも、5/4に開催されました「DMMアダルトアワード2016」について語ってみようじゃないかと思います。
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ちなみにぼくの予想を振り返ると、
 最優秀女優:大槻ひびき
 優秀女優:天使もえ
 新人女優:市川まさみ
 特別賞:紗倉まな
 話題賞:三上悠亜
 スペシャルプレゼンター賞:伊東ちなみ
 メディア賞:葵つかさ
 でした。

 実際の結果を見ていきましょう。

 予想が的中しました。最優秀女優賞は大槻ひびき
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 ここはそりゃ、大槻ひびきが獲るべきでしょう。AV女優の格としては、やはりノミネート女優の中で頭ひとつ抜けていたと思います。上原亜衣、湊莉久とキカタン受賞の流れは今回も健在。DMM(CA)は自社専属の女優ではなく、業界全体への功労者をきちんと祝福するのだなと、いちだんと頼もしさを覚えた次第です。

 受賞コメントにもありましたが、大槻ひびきは「ド企画」からの決して華々しくないスタート。デビューは2008年のベテラン組。それがこうした場で一位を射止めるというのは、まことによいことであると思います。AVは単体的なもの=アイドル的なものの魅力ももちろん大きいのですが、それとは別に、企画や行為性、肉体言語によって魅せるメディアであります。そこでの活躍がこうしてきちんと評価されることを、非常に喜ばしく思っております。
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 そして第二位。優秀女優賞は、前の記事でも個人的に希望していた、AIKA
受賞は難しいのではと勝手に思っていたのですが、いやはや嬉しい誤算というか、キカタンが一位二位を射止めるというのは、この賞自体がどういう性質のものかを、知らしめてくれるようです。

 いまやDMMは戦国武将ではなく、業界全体を統べる幕府となりえたのです。
 自社の繁栄のみを願うのではなく、業界全体で活躍したものに権威を与える存在たり得たわけですね。今年の一位二位がキカタンという出来事は、その象徴であったように思います。

さて、新人女優賞。
 ぼくは市川まさみを予想していて、話題賞が三上悠亜ではないかと思っていたのですが、ここは予想とは反対になりました。 
 新人賞に三上悠亜、話題賞が市川まさみ。いずれもマスカッツのニューカマーで、一応ここは抜かりなく抑えているDMM。恵比寿★マスカッツプロジェクト。

 三上悠亜はなんとAVの販売において、配信、セル、レンタルの三冠を受賞したとのことです。そうなるとまあ、新人女優賞もむべなるかな、ですね。ただ、どこかもの悲しさもあります。言ってしまえば彼女は、「AKS系列でスキャンダルを起こし、居場所を追われた人」です。マスカッツの一員であるし、今後の活躍がとても楽しみではあるのですが、それですぐさま他のAVをなぎ倒してしまうのは、AV業界を愛するものとして悔しい気持ちもあります。ですがまあ、そうやっていろんなものを取り込んで、業界がさらに大きなものになるのなら、喜ばしいことに変わりはありません。マスカッツでのご活躍を応援しております。

 彼女が話題賞でなかった時点で、市川まさみ以外はないと思っていました。ここは順当なところ。それにしても、本当にマスカッツはうまくやっていますねえ。うむうむ。

 特別賞はJULIA。三年連続ノミネートとあって、この方も何か獲るかもな、と思ってはいたのですが、なるほどここに入ってきた。納得の受賞でありました。

 スペシャルプレゼンター賞は新人ノミネートから出るのかと思っていましたが、ここで葵つかさ。業界での実績もあり、S1でもあり、アイドル性を考えても、なるほどなにがしかの賞を獲ることに異議はありません。

 メディア賞に紗倉まなが来ました。
 露出も多いし、小説を出版したりもしているし、顔ぶれを見ても無冠はなかろうと思っていました。他の賞がないのなら、この線もあるだろうなと思っていましたね。うむうむ。
 ちなみに去年は小島みなみが獲っているので、SEXY-Jにおける「乙女フラペチーノ」コンビが獲ったということになります。

授賞式では特別ライブとして、恵比寿★マスカッツが登場しました。
「バナナ・マンゴー・ハイスクール」が最初の演目だったのですが、司会者には希志あいの、ノミネートの一人には佐山愛がいるということで、少しほろりと来てしまいました。
新生マスカッツになってからの新曲も披露され、ノミネート席のメンバーが応援している様を見ると、これまた温かい気持ちになるなあ、という次第でありました。

 さて…………こうなると、いや、うん、わかります。
 天使もえですね。
 候補者のマスカッツメンバーの中で、彼女だけが何も獲れなかったのです。S1の筆頭格であり、人気女優であり、マスカッツも出てきてとなって、これはとても悔しい結果であろうと思います。去年には新人女優賞を獲っているし、二年連続ノミネートなので、その意味では他の無冠の人たちよりは恵まれているのですが、ここにはなんというか、ねえ、うん。予想の段階で、ぼくは彼女の一位はないだろうと思っていたのですが、何かしらには引っかかると思っていた。ぼくだけではありますまい。これは悔しいでしょうねえ。

 キカタンにはドラマがあります。それこそ大槻ひびきのように、「ド企画」から上り詰めた人もいるし、AIKAのように、最初は美容師の副業だったのが、どんどんその世界の魅力を知っていたという人もいる。そうやって名を売ってきた人もいる。

 かたや、単体はデビューがある程度華々しいんですね。パブもあるし、事務所のバックアップもあるし、その意味ではアイドル的存在。でも、だからこそ、こういう場での栄誉が求められるところも大きいのです。単体のドラマもあるのです。特に天使もえは、マスカッツの中心メンバーでもありますからね。

 その意味では、天使もえが獲れなかったのは、これはこれでドラマティック。
 でも、これが演出だとするなら、DMMの底知れなさというものを見る思いです。

 正直、人気投票だけではないと思います。様々に事情を加味されての配置ではないかと思います。そのうえで、DMMは看板のS1(それも天使もえは生え抜きの専属です)を横に置き、キカタンに持って行かせた。ここはねえ、いいですねえ、うん。いい。

ともかくも、大槻ひびきが貫禄の受賞を果たしたことをここに言祝ぎ、AIKAが獲ったことを喜びたいと思っています。DMMが今後も業界の盟主として、そしてマスカッツがその象徴として、よりいっそうの繁栄のなされますことを、心よりお祈り申し上げます。
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