<   2016年 07月 ( 6 )   > この月の画像一覧

 都知事選の結果が決まりました。保守分裂と言われながらも、終わってみれば極右系が勝つというなんとも激しい結果になりました。
 本来であれば野党にも多少の分がある選挙戦だったはずですが、終わってみればぜんぜん駄目だった。
 そのあたりについて、思うところを述べます。

 もし仮にぼくが向こうサイドを支持していたとしたら、鳥越サイドを見てこう思ったでしょう。

 なんてちょろいんだろうか、と。

 週刊誌報道への備えはもとより、決定的にちょろさが見えたのは、宇都宮さんの応援があるかないかということが話題に上ったときです。鳥越さんを応援すべきだ、いやそれは宇都宮さん自身の判断だと、ツイッター上でもいさかいが起こっていました。

 ぼくが小池陣営にいたら、この時点で鳥越への警戒心を完全に解いただろうと思います。
 鳥越はもう相手にしなくていいなと、見きったと思います。
 それは、鳥越支持者と宇都宮支持者で揉めていたからではありません。
 鳥越支持者が「そんなこと」にこだわるほど視野狭窄に陥っていたからです

 はっきり言って、宇都宮さんが応援するかどうかなんてことはどうだってよかったはずです。宇都宮さんがいようがいまいが、無党派層の趨勢に大きな影響を与えることはなかったのです。鳥越陣営がすべきだったのは、ただひたすら無党派のほうだけを見て戦略を練ることだったのです。にもかかわらず、彼らは肝心な最終週にネット討論会も欠席し、クローズドな個人演説会をする始末でした。その姿勢のほうが大問題なのであって、宇都宮さんの件なんかは、副次的なことに過ぎなかったのです。

 ぼくはここに、反自民勢力(リベラル・左翼勢力)の重大な病理が潜んでいる気がしてなりません。キーワードは「悪魔化」、そして「美しく負ける左翼」です。

 「悪魔化」について話しましょう。
 かねてより安倍政権は、ヒトラーだとかファシズムだとか言って批判されることが多くありました。確かに、立法の進め方やなんかについて、問題があるとぼくも感じることが多いです。もしかしたら彼はヒトラー的かもしれないし、そうでないかもしれません。ファシズム的かもしれないし、そうでないかもしれません。

 ぼくが気になるのは、そこじゃないのです。
 ぼくが気になるのは、相手の悪魔化です。
 相手を悪魔化することはたいへん危険です。
 なぜ危険なのか。
 相手を過剰に悪魔化すれば、それと対峙する自分たちを過剰に美化してしまうからです
 ヒトラーがいれば、ヒトラーと戦う自分を英雄視できる。
 ファシズムがあれば、ファシズムと戦う自分たちを英雄視できる。
 この時点で、少なくとも自意識は半分ほどが満たされます。
 勝とうが負けようが、自分は英雄であり、敵は悪魔であるという認識は変わりません
 たとえ負けたとしても、自分たちはその正しさを貫いたと信じられます。
 正しい自分たちの思いは通じるのだと信じられます。
 だからその正しさに酔い続け、戦略に対するかまえがない
 ここにあるのはただ、「美しく負ける左翼」の姿です。

 今回の鳥越さんにしてもそうです。
 小池はヤバイ、増田は駄目だ、宇都宮は非協力的だ。
 鳥越さんは負けたけれど、自分たちは正しい選択をし続けたのだ。
 悪いのは、鳥越さんを支援しなかった奴らだ。
 有権者の多くは小池のヤバさに気づいていないんだ。まったく、困ったもんだ。

 違う。
 鳥越さんが負けたのはただの戦略的失敗です。週刊誌報道後のダメージコントロールにミスったのが大失点。あのピンチをチャンスにすることも可能であったのに、注目の集まるネット討論会は休むし、そのくせ仲間内のクローズドな個人演説会を開くし、どう考えても自ら勝ち目を無くしていったのです。それに気づかず、相手を悪魔化する快感に酔ってしまったがゆえに、支持者たちは味方を増やすどころか、宇都宮さん支持者と喧嘩する体たらくになったのです。

 そろそろ気づくべきです。悪魔化では勝てないことに。

 今後の選挙全般で、野党陣営が勝つための方策は次の二つ。

 価値観の提示と、戦略

 戦略は言うまでもないとして、大事なのは価値観の提示です。
 
 わかりやすいところでいえば、アベノミクス。安倍政権の強みは、アベノミクスの内実ではない。アベノミクスという価値観を提示したことです。自分たちはこの方向で行きます、とはっきり明言し、キャッチ-なパッケージとして示したことです。内実をまったく知らない有権者であっても、「アベノミクスって、なんかしっかりしてそう」くらいのイメージで投票させてしまうわけです。

 安倍の暴走を止めると、野党はおそらく何百回と言ってきたでしょうけれど、そのワーディングでは勝てないのです。
 暴走を止めたとして、そのあとあなたたちはどうしたいの?
 この日本をどのように運営していきたいの?

 その見通しを、一言で提示できる必要があるのです。
 それがなければ勝てないし、それがあれば少なくとも今よりは十分に勝てる。

 悪魔化をやめて、美しく負ける左翼の自己像から、脱却する必要があります。

 でもね、それはきっと難しいんです。

 だって脱却しないほうが、よほど気持ちがいいんですもの。

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公党は公党たるに足る、明確なメッセージを出してください。
 相模原の障害者施設における殺傷事件。この件については個人的な事情もあって、強い憤りと悲しみを感じています(ぼく個人は、被害に遭われた方々の関係者というわけではありません)。

 謹んで、ご冥福をお祈りします。

今回の事件は、明らかに障害者だけを狙った犯行です。犯人の精神状態がどのようなものであるかはわかりませんが、彼らが標的となったことは明白です(ところで、「障害」を「障がい」と記すべきという主張もありましょうが、ここでは漢字表記とします)。

 その意味において、本件は明確なヘイトクライムです。無差別なものではなく、特定の性質を持った人々を狙っている事件としては、戦後最悪のものであろうと思われます。

 にもかかわらず、とぼくは思ってしまうのです。

にもかかわらず、政府ならびに公党各位の反応が鈍い。そのように感じてしまうのは、ぼくだけでしょうか。この事件は無差別なものではない。特定の人々に対する犯罪です。それは個人的な人間関係や利害に基づく殺人とは別種のものです。近代社会が築いてきた「障害者福祉」という理念をも傷つけるものであり、政治家の方々にはより強い批難のメッセージを放ってほしいと、ぼくは思うのです。普段から、道徳や秩序を大切にしようと仰っている方には特に。そして普段から、弱者の権利を大事にと謳っている方には特に。

 むろん、政治家の方々個人はSNS等々で、本件に言及されていると思います。しかし、そこは個人としてでなく公党として、あるいは政府としてメッセージを打ち出してほしい。

 我が国(我が党)はヘイトクライムを許さない。
 障害者の人々を標的にするような犯罪を、我が国(我が党)は断じて許さない。

 そう明言してほしい。この記事を書いている現在、ネット上には発見することができません(もしあれば、教えてもらえるとありがたいです)。知的障害者の人とご家族の方の「全国手をつなぐ育成会連合会」の声明のようなものを、公党には出してほしい。

 政治的テロが起きた場合、政府は速やかにそのような声明を打ち出すじゃないですか。「テロには屈しない」「テロを許さない」「断固としてテロと戦う」 
なぜその勇ましさを、今回は発揮してくれないのか。
 国として、政府として、党としてそのメッセージがあるだけで、わずかでも安心できる人々がいるとぼくは思うのです。ところが今、テレビや新聞を賑わせるのはむしろ、あの犯罪者の呪いの言葉のほう。なぜどの党も、正面からあの呪いを打ち消そうとしないのか。ぼくにはそのことが、輪を掛けて悲しいのです。

 世間では間もなく、ゴジラの映画が封切りとなります。新しい都知事も決まります。ポケモンだって、まだまだユーザーと評判を広げていくでしょう。そうなればまた、世間の注目はそちらに移ってしまうことでしょう。その前に、政府や各党はこの件をもっと大きく取り上げてほしいとぼくは思う。それがたとえ集票狙い、選挙目当てだってかまわない。
 あの呪いを打ち消すメッセージを、もっと放てよ。


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ついでになりますが、この事件に関連して気になるブログの記事を見つけたので、ちょっと話しておきたいと思います(政党の方に向けてのものではありません、あえてリンクも貼りません)。
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 殺人事件というのはドラマや映画なんかで見る限りは刺激的だし、実際に起こった猟奇的な事件なんかにしても、ぼくもまた好奇の目で見つめてしまうことがたまにあります。その被害者のことなんか考えずに、事件の特異性に目を奪われてしまうことはあるし、きっとこれからもあると思います。

 けれど、この事件についてはまだ起こったばかりであり、今もなお重傷を負って苦しんでいる人がいるわけです。あくまで、可能性として、さらなる犠牲が出るかもしれないのです。

それをよ。

 早々とランキングとかにしてんじゃねーぞ。

 第何位とか、数字にしてんじゃねーぞ。

 もしも、今も重傷で苦しんでる人がこのあと死んだりしたら、その犠牲者の数字を書き換えるのかよ。ランキングの順位いじるのかよ。どんな顔してキーボード叩くんだてめえは。おっと、一人増えたのか、書き換え書き換え、とかやるのかよてめえは。

どんなに映画に詳しいか知らねえが、どんなに文学に詳しいか知らねえが、それは今、やるべきことなのかよ? 今、やらなくちゃいけないのかよ? 一ヶ月後じゃ駄目なのかよ? だったらその旨も書き添えてくれないか。ぼくには意図も意味がわからないからさ。
どれくらい深刻なものかをわかりやすくした? それはランキングじゃなきゃ駄目か? それが「男の魂」か?

個人の趣味のことですから、リプを飛ばして突っかかっていく気はありません(反応があればお答えします)。でも、こうして空リプを飛ばすくらいはさせてもらいたいと思います。

ついでと言いながら、つい熱くなってしまいました。

 ヘイトクライムを許さないというメッセージが放たれることを、強く期待します。

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放送に隠されていた問題点
 7月25日放送のNHK「クローズアップ現代+」の特集を、タイミングよくリアルタイムで全編観ました。「AV出演強要被害」の問題についてでした。かなり問題の多い放送だったなあという印象を受け、むかむかし続けているので、ここで吐き出しておこうと思うのであります。

 昨今言われる一連のAVの「強要被害」について、ぼくが認識したのは今年の5月頃。それ以降あちこちでさまざまな見解が語られてきたわけですが、あの問題提起がいみじくもあぶり出した、別の側面があるんですね。「強要被害」が語られることを通して見えてきたのは、社会における「AV業界蔑視」問題。NHKの放送は、完全にそれを描き出していたように見受けます。

 かの放送の内容が、AVへの意図せぬ出演を防止する目的で描かれたものであることは、重々承知しています。ただ、そうであるがゆえに一方的な内容のものであったとも、強く感じるわけであります。

 放送において最も問題があるなあと思った点は、AVあるいはAV業界の良い面が、25分弱の放送の中で、ただの一言さえも触れられなかったところです。いや、今回の放送のテーマは強要被害問題だから、何もAV業界全般について詳しく触れろと言っているわけではない。本来ならまともな業者の取材もするべきだったけど、まあそこは言いません。

 ただ、ただ一言で良かった。

「こういうことがあると、健全に活動している業者も迷惑を受けてしまいますよね」とか、「業界全体のイメージが悪くなってしまいますよね」とか、「こういった悪事はあくまで一部の悪質な業者だけと信じたいんですけど」とか、「自発的に活躍している女優さんもいっぱいいるんですけど」とか、ささやかなフォローがあるだけで、ぼくはぜんぜん違う印象を持ったはずです。っていうか、他の業界のことなら入れるでしょうね、そういうフォローを。
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 でも、その一言すらない。観ている人は、「なんかAV業界って怖いんだね」というイメージを持つだけでしょう。今回の放送で、多くのまともなAV業界人が傷つけられたんじゃないかと僕は思ってしまうし、実際反発している人もツイッター上で見受けました。「ぜんぜん業界蔑視的じゃなかったよ」的に逆張りしてる人とかいるんですが、そういう人は普段からナチュラルに蔑視してるんじゃないかな、と思います。自分の差別意識に、人は気づきにくいものです。


彼女が戦うべき別の相手
 放送では松本圭世という、元テレビ愛知アナウンサーの女性が証言者の一人として登場していました。彼女は騙されてAVに出演してしまい、アナウンサーの職を追われてしまい、今は被害に苦しむ人たちを応援する活動をしているそうです。

 はて、ぼくにはひとつ、たいへん大きな疑問があります。なぜ、彼女は職を追われる羽目になったのでしょうか。構図としては、彼女はまあいわば、レイプされてしまったような格好のわけですね(実際は性的行為を行ってすらいないようですが)。で、そのレイプ被害者の彼女が、レイプにあったということで職を追われたと、そういう話なんでしょう? 確かにそりゃ、レイプ犯はよくないです。ここは強調しておきます。でも、レイプされたからとやめさせられるなら、それもまた大問題でしょう。それじゃまるで、イスラムの姦通罪、名誉殺人じゃないですか。
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 なんでそんなことが起きるかと言えば、AV自体を悪いものだと決めつけているからでしょう。AVに出た人間はアナウンサーでいる資格がない。そのようにして、AV女優を差別しているわけでしょう。そういう捉え方が、彼女を傷つけることになったんじゃないのかとぼくは思うわけです。だから彼女が戦うべきは、そのAV業者と同時に、雇われ先のテレビ局であったはずだし、あの放送に出ていた弁護士さんがもしも本当に人権派だというなら、そんなことでやめさせるなと憤るべきなんです(放送では一切言わなかったね)。

 繰り返します。AVの強要を擁護するつもりはない。でも、放送に出ていた匿名の証言の傷をさらに深くしたのは、AVへの蔑視でもあるんじゃないかと思えてなりません。「レイプまがいの事件に巻き込まれた」辛さのうえに、「AVなんていう醜悪なものに出てしまった」という価値観が乗っているとしたら、後半部分については緩和しうるものだろうと思うのです(くどいようですが、レイプまがいで出されたビデオを放置してよい、と言っているわけではありません)。
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 そうでなければ。

 AV女優はこの先も、ずっと蔑視され続けてしまう。AV強要被害が仮になくなっても、「AVに出たら人生終わり」みたいな価値観が残存していたら、AV女優の人たちは不当な蔑視を受け続けることになる。ぼくにはそれがどうしても許せない。強要被害がなくなれば蔑視はなくなるか? そんな風には思えない。強要被害の実態が出る前から、蔑視はあったじゃないか。だからアナウンサーは辞めさせられたんでしょう?

 いいじゃないか。AVに出ていたって。

 その言葉が、もっと必要だと僕は思うんです。



声優さんの件
 今年の4月には、人気声優さんがAVに出ていた、出ていないという件で話題を集めました。そのときには「AVに出ていたなんてショックだ」という反応が、ネット上で見受けられたと記憶しています。本人は否定しているとのことでしたが、ぼくはそれを聞いて、「ぜんぜんかまわないじゃないか」と思いました。声優が紅白に出るのはよくて、なんでAVに出ちゃいけないんだ? 

 はっきり言って、「AVに出てたなんてショック」と感じるその感じ方自体が、(もし仮に本人だったとして)彼女を傷つけることになると思います。もしもあなたが本当に彼女のファンだというなら、鼻息荒く出演を否定するのではなく、「AVに出ててもぜんぜんいいじゃん」「AV出演なんて、攻めてるじゃん」と鷹揚にかまえればいい。それができないということは、あなたは彼女を、そして何千人のAV女優をも傷つけているということです。差別に加担しているんです。仮に本人の意思に反しての出演ならば、その点には問題があるでしょう。でも、彼女自身の価値はなんら毀損されないということです。

 伊藤和子弁護士、もしあなたが本当にAV強要の被害者を救いたいと、もし本当に思っているなら、今やっていることのある部分は、完全に真逆です。「AV強要被害をなくす」ことはできたとしても、「AV強要被害に遭った」人たちは救われません。なぜなら、AV出演自体を悪いもののように捉えているからです(そうでないというなら、今回の放送でなぜ一言も、AV業界をフォローしなかったのか)。

被害者を本当に救うために
 AVに出た過去は消えないし、たとえ作品の流通を止めても、その人の中には記憶として残り続けるでしょう。その人を本当に救うには、「AVに出たなんて恥辱だわ」という感覚を取り去ってやることです。そのためには、AVに出ることはなんら悪いことではないというメッセージを放つことです。AV蔑視のある限り、その人は永遠に救われません。そんなメッセージは放てないというのならば--断言してもいい--あなたはその人を救う気がないんだ。自分の差別精神と偏狭な価値観が大事だから。

 こういう話をすると、「もし自分の娘が」的な反応も考えられますので、言っておきます。僕に娘はいませんが、仮にいたとして、もしも本人が自分の意思でその道を選ぶというならまったく止めようとは思いません。よく考えろとは言うかもしれませんが、それはどの業界であっても同じだし、本人の生き方次第でしょう。もしも強要されたら? その場合は憤るでしょう。でも、強要されたら別にAVに限らず、何でも怒るんじゃないですか。むりやりコンビニで働かされようが、むりやり会社に内定させられようが、むりやり政治家にさせられようが、強要ということそれ自体に僕は怒るでしょう。強要自体が、人権侵害なのです。職業は関係ありません。
 世間の方々におかれましてはどうか、「出演強要」と「出演自体」を切り分けて捉えてほしいと願います。「出演強要」をした人間には問題があっても、「出演自体」を行った本人には問題がないし、むしろAVは映画にもテレビにもできない魅力的な表現を行っている媒体なのです。ぼくはAVでヌくたびに、女優へのリスペクトを感じてやみません。

「AV出演強要」問題について、もしあなたが部外者なら(ぼくもですが)、解決することはできません。でも、AV蔑視問題については解決しうる。あなたがやめればいいのです。見方を変えるだけなのです。ひいては、(あるいは逆説的に思えるかもしれませんが)被害者を救うことにもなるでしょう。できることを、してほしいと思います。
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 知事選。
 参院選からすぐということで、東京はまだ政治の夏が続きます。くわえていうに、小池百合子さんが出馬した関係で、10月には東京10区の補選があります。この10区はぼくの居住地でもありまして、いやはや政治の季節が続くのであるなあと、気もそぞろになるのであります。

 さて、選挙においては「投票率問題」、「無党派層の動向問題」が話題となるのが常であります。直近の投票率が低かったのは単純にマスコミの報道が少なかったせいも大きいのでしょうが、ではこの投票率を上げるにはどうするか、ないしは鍵となる無党派層を動かすにはどうするかについて、考えてみたいと思います。

 普段、政治に興味がない人に対して選挙に行けと言っても、なかなか能動的なアクションにはなりません。なにしろ、政治にも政局にも興味がない人たちです。選挙とかうぜえ、という人たちです。では、彼らの票を取り込むにはどうしたらいいのでしょうか。

 これには簡単な解があるように思うのです。
 それは、「ものすごく身近な題材を公約に盛り込む」ということです。

 個人的な話になるのですが、ぼくは大学一年の頃、大学の自治会選挙の選挙管理委員長というのをやったことがあるのです。と言っても、当時のぼくには自治会が何なのかも、その選挙がどういう意味を持つのかもまるでわかりませんでした。たまたま新入生向けのお祭り的なイベントで知り合った自治会の人がいて、委員長をやったら5万くれるというので、何も考えずに請け負いました。

 確か2週間程度の仕事でしたが、ぼくは政治にとんと無頓着で、何党が右なのか左なのかもよくわからなかった。休み時間の教室に押しかけ、学生に投票を促すのですが、それが何を意味する投票なのかさえわかっていなかった。ただ、「5万あればプレステ2が買えるなあ」というだけの理由で、管理委員長をやっていたのです。

さて、ある日のことです。構内に建てた選挙告知用のテントで、何をするでもなく待機していたときのこと。女子学生の二人組がやってきて、ぼくにこう言ったのです。
投票したら、構内の携帯の電波がよくなるんですかぁ?

 なぜそんなことを訊かれたのかもわかっていなかったのですが、おそらくは自治会選挙の公約か何かに、そんなことが盛り込まれていたのでしょう。そのときのぼくはたぶん適当なことを言って、投票を促したりしたんだと思います(繰り返し申しますが、ぼくは本当に何もわからずに委員長職に就いていたのです)。

それきりぼくは自治会と何の関係も接触もなく過ごしたのですが、そのときの出来事はなぜかいまだに覚えている。

 投票率を上げるために大事なのはきっと、あの携帯電波を気にした女子学生のような、彼女が感じたような身近さなのです。どうです? 今の話でも、「5万あればプレステ2が買えるなあ」のあたりが、リアルなものに思えませんか? 要はそういうことです。

国政にしろ都政にしろ、トピックはどうしても大きなものになる。何々の分野に大規模な投資をするとか、何々の制度を拡充する方針だとか、何百億円規模の予算をどうするとか、そういうことばかりがどうしても中心になります。そうでなければ、今の政権与党が駄目であるということを説いたり、改革が必要だと説いたりですね。いずれにせよ、政治に無関心な層の肌感覚には、ちっともあってこないのです。

 こんな話があります。投票率が1%下がるたびに、若年層は13万5千円の損をしているのだと。その試算がどれほど正しいかは置くとして、このメッセージがどれほど有効なのかも疑問なのです。だって、肌感覚に表れてこないんです。家に来られて13万5千円持って行かれるようなら誰でも投票するでしょうが、政治に関心がなければ絶対ぴんと来ません。仮想の13万5千円は、目の前の500円にも劣るでしょう。

 投票率を上げるには、特に若者のばあいは、もっとわかりやすく、肌感覚でわかるような主張が必要だろうと思うのです。

 その意味で言うと、小池百合子さんはいい線ついているんです(ぼくは彼女の支持者ではありません。念のため)。彼女は今回の都知事選で、満員電車ゼロを目指すと言っている。これなんかは、通勤通学をする人の多くにとって、実にわかりやすいメッセージなのです。それが実現可能かどうかは別としても、このメッセージには有効性があるように思うのです。うまいメッセージだなあと思うのは、満員電車が毎日利用するものであり、多くの人の耳に触れやすいことだというのもあります(支持者の人は、電車の中で毎日このことを広めていくのがいいでしょう)。小池さんの陣営は組織的支持を期待できない以上、無党派に浸潤する身近な題材を取り上げている。その辺は、策士だなあと感じます。

 選挙に行かない層、無党派層を巻き込むには、とにかく身近な話題を広めていくことだろうと思うのです。その点で行くと、鳥越さんの「ガン検診」みたいなのは、高齢者層にとって響きやすい話題だと思います。福祉の充実とかそういう言い方よりも、ピンポイントで引っ張りやすいフックを提供するのは、大いにアリだと思います。新党改革で出馬し、30万票近くを得た山田太郎さんは「オタクの味方」というイメージで注目を集めています。「中学生でもわかるメッセージが投票行動を促す」というのも、鍵のひとつではないかと思います。

 いろいろ書きましたが、「わかりやすさ」が大事なんですね。
 ぼくが候補者だったら、と勝手に考えてみます。
 ぼくだったら演説で、「給料! 介護! 待機児童!」の三つを柱に、わかりやすく押すでしょう。やはりメインのビッグトピックが必要になります。それプラス、満員電車ネタみたいな、肌感覚に訴えようとするでしょう。

 それでいて、細かい数字はあまり言わない。数字の話は伝わりにくいので、主張の説得力を支えるふりかけ程度に用いるでしょう。
 金科玉条的に、「三つの柱」みたいなパッケージを連呼するでしょう。肌感覚や趣味感覚に引きつけて、オタク系の話題も横にまぶしておくでしょう。政治には興味がなくても、情報にはそれなりに敏感な層向けのマニフェストを組み入れるのです。

野党が与党に勝てずにいるのはなぜか。
 アベノミクスが立派だからじゃない。アベノミクスみたいな「わかりやすいパッケージがない」ことなんです。近頃の政治は候補者の知名度がものをいうと言われますが、結局のところは「パッケージ・ポリティクス」ではないのかとも思うのです。

 今回の都知事選は誰が勝つのか、三連単が見極めづらい選挙です。
 その中で抜き出るには、ワンイシューでもツーイシューでもかまわないのですが、わかりやすい身近なネタと、わかりやすい「パッケージ・ポリティクス」を活かすのが鍵じゃないかなあと、政治の夏にふと芽生えた雑感でございました。

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 参院選。三宅洋平さんを応援していましたが、負けてしまいました。
 民進党の小川敏夫さんが当選したのはよかったと思います。

 ネット上でも路上でも、誰より話題を集めていた三宅洋平さんが、なぜ負けてしまったのかについて、考えてみたいと思います。

 開票後の記者会見で彼は、ユーモア混じりに「ひげを剃れなかったことですかね」と言っていました。自分のスタイルが受け入れられなかったことが敗因だ、というのが、ひとつの自己分析なのだろうと思います。

 彼の言っていることには、頷ける部分も多いのです。
「見た目だけ小綺麗にしながらろくなことをしない議員なんか駄目だ」
「社会に出るなり、画一的なスタイルを強いられるなんてうんざりだろ?」
「自分らしくあれる社会をつくろうじゃないか」

 言い方は違うにせよ、彼の演説ではそのようなメッセージが発されていました。

 この発言には納得する人も多かろうと思いますし、彼のもたらしたエネルギーというのは多大でありました。

 ただ、です。

 自由なスタイルにはどうしても、裏付けが必要になるんですね。そして、これまでにないスタイルの人間は他の人間と比べて、その主張や人間性を厳しい目で見られてしまう。
 彼が負けたのは、そのスタイルゆえではない。
 目立つ分だけ、つっこまれる部分。そこへの配慮がやはり、足りなかったんです。

 彼は選挙期間中、SNSや電話による投票呼びかけを聴衆に訴えていました。
 彼が足りなかったのは、そのあとだったんです。
 そのあとへの想像力と言うべきでしょうか。

 彼を応援する人が、SNSや電話で広めたとする。すると、「三宅洋平」の名前を知る人が増えて、その名前を知った人の多くはネット上で、彼の人となりを調べるわけです。

 はい、そこで大きなネックがありました。
 陰謀論、エセ科学などに対する発言です。

 せっかく彼のことを知った人でも、「なんだこいつ、変なやつじゃないか」と見放してしまうのです。彼は「もし相手につっこまれたら、そこで対話してほしいんだ」と聴衆に呼びかけていたのですが、陰謀論やエセ科学をどう弁護したらいいのか、そこについて演説では触れることがなかったのです。

 嫌いな言葉ですが、「ブーメラン」が刺さってしまった。
 彼が安倍首相に対し、「演説で憲法について触れないじゃないか!」と言ったとしても、「おまえだって陰謀論やエセ科学について弁明してないだろ」と言われてしまう。

 彼はその自由なスタイル、悪く言えば「怪しげなスタイル」ゆえに負けたのではない。
 
 怪しげなスタイルを支えるだけの思想的裏付け、ないしは弁明がなかったことが、決定的な敗因だったのです。実にもったいないと思います。なにしろ、ネット上で彼を批判する人のほとんどは、そこを突いていたのですから。ひげのロン毛なんか駄目だな、という人たちよりも、はるかにずっと多い数で。

 ぼくは彼を支持していましたし、そのエネルギーは他の候補を圧倒していたと思うし、そのエネルギーを国会でぶつけられないのは残念であると今も思う。

 けれど、やはり裏付けと弁明が足りなかったのは致命的だった。

 ぼくは彼の今後に注目するし、今後も支持したい気持ちがある。
 多くの人もそうでしょう。

 だからこそ、まず彼がすべきことは、憲法について学ぶことや経済について語ることより先に、彼のネックとなっている非科学的・陰謀論的思想について、きちんと向き合うことであろうと思います。

 そうでないと。

 自民党のほうがまともだよな、と思わせ続けてしまうのです。
 あのクソみたいな改憲草案しか出せない自民党のほうがまともだ。そのように思われることは、三宅さん本人のみならず、多くの人にとっての不幸です。

 今後も政治について活動されていくのなら、三宅洋平さんには考え直してもらいたい。
 彼の周りにいる人、彼に言葉を届けられる人たちは一刻も早く、その思想的問題点について、彼に訴えてほしい。そうすれば、彼はいい意味で、大化けするかもしれないのです。

 彼を支持した者の一人としての、切なる願いであります。ヤーマン。


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 政治に対するぼくの基本的な考えとして、「邪悪かどうか」というのがある。
 むろん、邪悪なものを受け入れたくはない。
 だから民族ヘイトとか、密告を促進するようなメッセージとか、そうしたものはまるで受け入れられない。憲法を変えて人権を奪おうという政党や、その政党に与する人々の思想も、受け入れるわけにはいかない。裏を返せば、邪悪でないと感じるものは、聞く価値があると思う。

 さて、ここに三宅洋平という人物がいる。
 彼は陰謀論を信じたり、エセ医学に傾いたり、足りない部分がかなりある。その点は多くの人が指摘している。ただ、彼の演説を聴く限りにおいて、彼が邪悪であるようには思えない。ここはぼくにとって肝心な部分だ。

 突き放して言ってしまえば、彼には「バカ」なところが多分にある。しかし、彼の直すべき点というのは、修正が可能なレベルである。ぼくにはそう感じられる。

 では、なぜ感じられるのか。彼の演説を見て、聞いて、その内容は決して邪悪でないと思えたからだ。彼の演説は憎しみを煽るものでもなければ、人々の分断を促すものでもなく、そこに邪悪さはないと思えたからだ。「音楽ばっかやってきて脳の容量いっぱい余ってる」という彼ならば、陰謀論の危うさやエセ医学の無意味さを理解できると思うのだ。

 ここまで書いて、まるでポジティブな理由がないことに気づく。
 彼が「邪悪」でなく、「修正可能なレベルのバカ」であることは、推す理由にならない。
 邪悪でなく、賢い人間を推すほうがいいはずだ。
 そうとわかったうえで、なぜ彼を推すのか。

 演説からもたらされるエネルギー、と言うと、あまりに簡単すぎるかもしれない。
 しかし、まずはそれが答えだ。

 演説中、彼が繰り返し言ったこと。
「ポデモス! おれたちはできる!」
「おれは票を割りに来たんじゃない! 掘り起こしに来たんだ!」 
「投票に行かなかった4922万人で、日本は変えられる!」

 こういうメッセージを繰り返し放つ人間を、ぼくは見たことがなかった。
 日本の人々の多くは今、政治に対して「学習性無気力」とでも言うべき状態にあると思う。学習性無気力とは、期待や努力が繰り返し繰り返し裏切られることにより、「どうせやっても駄目だ」「どうせ変わらない」と、その気力を失ってしまう状態のことだ。

 その状態をなんとかしたい! と訴えるのは、バカさを補ってあまりあるエネルギーだとぼくは思った。残念ではあるが、これまで野党として戦ってきた人々からは、彼のようなエネルギーを感じることがぼくにはできなかった。棄権してきた多くの人間もそうかもしれない。

 野党には堅実な実務家もいるだろうし、老獪な有力者もいる。けれど彼のように、バカみたいに、学習性無気力を打破しようとする政治家を、ぼくは見たことがなかった。そして今回、有力とされる他の立候補者たちに、彼のような熱量を感じさせる人間を、ぼくは見出すことができないのだ。

 彼の熱量については、ネット上の検索数も証左となろう。「選挙は祭」と幾度も唱え、今回の立候補者でもダントツの検索数を誇っている彼は、それだけ人々を引きつける熱量を帯びている。ただトンデモな主張を言っているだけなら、そうはならない。あのエネルギーは、希有なのだ。たとえ彼が嫌いな人でも、そこは認めてくれるんじゃないかと思う。

 繰り返し言う。彼はある面においてバカであり、その知的姿勢にも問題がある。
 批判する人の中で、ある人は障害者にまつわる発言を捉え、ある人は人工地震にまつわる発言を捉え、ユダヤ陰謀論を捉え、ホメオパシーを捉えるだろう。

 批判する人たちに言いたい。
 ぼくも同意見だ。
 もしも当選したりしたら、大いにぶっ叩くべきだ。
 そして、彼の間違いを認めさせたい。皮肉でなく、本当にそう思うのだ。

 そして、彼があのエネルギーを、正しい方向に持って行けるよう働きかけたいと思う。
 もしそれが可能ならば、護憲派にとってものすごく大きな味方になるとぼくは思う。
 真面目で素直に党則に従う優秀な政治家には、できないことができるとぼくは思う。

 そのエネルギーに、危険さを見出す人もいるだろう。
 だが、彼は邪悪ではないとぼくは感じる。圧倒的なポジティブさがある。自分らしくあれる社会をつくろうと訴えている。憲法が国民を縛るなんてまっぴらだと、真っ当な感覚を持っている。ぼくの目には、そのように映るのだ。

「大きなエネルギーのあるバカ」「小さなエネルギーの実務家」。
 粗悪な改憲を食い止められるのはどちらだと思うか。
 これまで切り込めなかった部分に、突っ込んでいけるのはどちらか。
 ヒーローの訪れをいたずらに願うのは危険だ。
 同様に、ヒーローなんかいないと思いすぎてしまうのも危険なことだ。

 はからずも、ずいぶんと長くなってしまった。
 以上のことをもってぼくは、三宅洋平を支持したいと思う。
 もっと書くべきことはありそうだけれど、まあ、それは当選の暁に。

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