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 先に断っておきますが、ぼくはここでネトウヨ批判をしたいのではありません。ネトウヨの人と喧嘩する気もありません。その人たちが何を考え、どうしてネトウヨでいたがるのかを分析してみたいのです。「ネトウヨはいかにしてネトウヨであり続けるか」が本稿のテーマです。誰に頼まれたわけでもないのにネトウヨでいるということは、そうすることが本人にとってプラスになると感じているからでしょう。では、どういう点がプラスになるのか。ぼくが考えたいのは、まさにそこなのです。今からいくつもの指摘を行いますが、おそらくネトウヨ的な人で、一つも当てはまらないという人はいないと思います。ネトウヨがネトウヨでいたいと思う理由はきっと、次のいずれかです。それではさっそく参りましょう。

① 帰属意識
「日本が好き!」とわざわざ言明する心性は何なのでしょう。好きなものを自己紹介するのは別段おかしなことではありませんが、なぜわざわざそれを言おうと思ったのか。好きなものは無数にあるはずですし、長年日本で暮らしていればむしろ、わざわざ言う必要はなさそうに思えます。現に、日本で日本人同士で自己紹介するとき、わざわざ「僕は日本人です」と言ったりはしない。その場所にいながらその場所のことを好きだとあえて言うのは、「帰属意識」が高いことの表れであるように見受けます。そして、その帰属意識の高さゆえに、排外主義と結びつきやすくなる。あなたは日本人なの? あなたは日本が好きなの? と、自分の帰属スペースの純粋性を保ちたくなるのではないでしょうか。強硬な外交を望むのも、自身の帰属先の輪郭がくっきりするように思うからではないでしょうか。裏を返すと、他の部分での帰属意識に不安を抱えている可能性もあるように思います。自分の家族、友人、学校、会社、サークル、街。エトセトラ。いわば「居場所」のようなものを求めたいけれど等身大では満たされず、一足飛びに大きな共同体=国家を愛するという言明に結びつくのではないかと、そんな可能性も指摘できます。

② 承認意識
 人は何かにつけ「居場所」「帰属先」を求めるものですが、それを「国家」と結びつければ、ある面でとても安心できます。学校という共同体はいつか卒業しなくてはならないし、今の職場が好きでもいつ変わってしまうかわからない。反面、国家は過去も未来も長年にわたって存在するものであり、居場所としては実にうってつけです。居場所としてこれほど安定的で、なおかつ崇高なものはそうそうない。だからときとしてこんなことを言う。「日本に生まれたことを誇りに思う」と。自分が日本人であることが、承認欲求を満たしてくれる。国歌を歌うことの強制を支持したり、沖縄の選挙結果を無視して国防強化を支持したり、ときとして国家主義とも取られる振る舞いは、日本という存在が自分の承認意識と結びついているからではないでしょうか。

③ 使命意識
 帰属意識と承認意識が促すものとしては、妥当な線だと思います。
 自分の居場所、自分を認めてくれるもの。それに対して自分も何かをしたいと思うのは道理で、だからこそときに攻撃的な振る舞いを行う。自分もこの日本社会に対して何かを言いたい、言わずにはいられない、言うべきだ。自分は私利私欲ではなく、この崇高な国家共同体のために発言するのだ。そのような使命意識が①や②から導かれても、何の不思議もありません。
 保守的な言論人として知られる古谷経衡氏によれば、ネトウヨの人々は日本人全体の平均と比べて、高学歴かつ高収入であるそうです。成功した自営業者なども多く見られ、だからこそ社会福祉に対しては割合冷淡な態度を示すのではないか、と彼は指摘しています。
高収入であれば、その使命意識として弱者救済を叫んでもよさそうですが、必ずしもそうではない。弱者救済は、①や②とは無縁だからです。むしろ仕事の成功によって、もっと大きなものを求めたくなる。自分は自分の会社のためにだけ働いているのではない。自分はこの国家のために働くのだ。崇高な使命意識は、さらなる自己肯定を呼び込んでくれる。いや、仮に成功していない人であっても、日本について論じると何か大きなことを言ったような気もするし、自分は日本人としての使命を果たしているのだと自意識を満たせる。①や②や③は独立したものではなく、互いに絡み合ったものと見るべきでしょう。

④ 被虐意識
「中国や韓国は反日的な言動を繰り返している。自分はそれに反対しているだけだ」(③でいえば、「日本人なら反対すべきだ」)。このような物言いを観測することもあります。確かに、中韓は反日的な言動が多い。ではなぜ、ネトウヨ以外の日本人はそこまで目くじらを立てないのか。いや逆に、なぜネトウヨは目くじらを立てるのか。ここには③と絡み合った被虐意識が見て取れる。「自分たちは不当に攻撃されている」という意識が、相手への攻撃的発言を生み出す。書籍でも「中国人に乗っ取られる」系の言説は多いようですし、「在日に支配されている」系の言説はデマも含め、ネトウヨを刺激します。実際に中国は尖閣に船を出しているし、竹島も占領されているわけで、被虐意識を抱く材料は十分にあるわけです。「外国人への不安」というのもこの被虐意識に関連するでしょう。「特に何をされたわけではないけれど、外国人は怖い」みたいな不安感覚です。これが排外主義と結びつかないとしたら、むしろそのほうが不自然と言えるものです。

⑤ 嗜虐意識
 ④と対照をなすこの意識は、簡単に言えば「いじめは楽しい」です。なぜ世間の学校や職場でいじめはなくならないのか。理由はとても簡単。いじめが楽しいからです。それは人間の暗い一側面としてあるものです。それこそ皇帝がサディズム的性愛に励んだ古代ローマの頃から、存在するものです。弱者を叩けば、自分の優越性を確認できるのです。
 ニコニコ動画などで、気に入らない政治家が答弁につまったりすると弾幕を張る。貧困問題で虚偽が発覚するとスレッドが乱立する。そこにあるのは系統だった批判などではない。みんなで叩くのは楽しい、という本音でしょう。みんなが殴ってる。俺も殴っていいんだ。さあ殴ってやれ。これは別にネトウヨ特有のものではないでしょうが、ネトウヨをネトウヨたらしめる炎上的振る舞いのひとつと見受けます。被虐意識が根幹にあるなら、復讐したいと思うのが人情。反動的な攻撃性。復讐の矛先が正しくても間違っていても、大きくても小さくてもかまわない。いや、むしろ小さいほうが、反撃してこないからやりやすい。おい、こいつ、反撃してこねえぞ、もっとやっちまえ、というのはいじめの楽しみ。嗜虐意識。

⑥ 自縄自縛意識
 人はとかく、自分の間違いを正すことに抵抗を覚えるものです。「はい、論破」と得意げに言いたがるその心性は、自分が論破されれば悔しいという心理の表れ。人は誰しも(当然ぼく自身も)、多かれ少なかれ自分の意見に固執してしまいがちなのです。
 とりわけ、自分の意見を言葉にしたときは危険です。
 言霊なんて言葉もありますが、何かを発言するというのはそれだけで意味を帯びるものであります。そして、自分自身を縛りつけやすくなる。人が自分の意見を簡単に変えにくいのは、「それまでの自分を否定することになるから」というのが大きいでしょう。動物的な感覚として、単純に負けたくないというのもあるはずです。
 人は自分の言葉に縛られていく。
 たとえば相手と何か議論になったとする。
 自分はAだと思う。相手はBだと言っている。
 このとき、仮にAに自信がなくても、議論に負けるのが嫌で、ことさらにAだと主張したくなったりする。
 すると、最初はAについて半信半疑だったとしても、だんだんとAであるに違いないと思うようになり、どう考えてもBを否定するしかないとさえ思う。
 そうやって、柔軟性をなくしてしまう。
「自分を否定するのは嫌」という意識。くわえて、「自分自身を洗脳する」意識。
 この二つが自縄自縛をもたらして、たとえやめたくてもやめられなくなる。もう、強硬な主張を続けるしかない。

⑦ 脱宗教の不安意識
 森達也監督のドキュメンタリー『A』『A2』というのがありました。事件後のオウム真理教の姿を追ったもので、そこには事件があっても教団を抜けない信者たちの様子が描かれていました。ぼくは思ったものです。なぜ抜けないのだろうかと。しかし、考えてみればその理由はある意味、とても自然なものでしょう。彼らはむしろ、抜け出るわけにはいかないのです。
 今戻ったところで、自分は社会で「元信者」として見られる。
 今戻ったところで、一般社会で幸せになれるとは思えない。
 だったら、ずっとこの場所にいたほうがいい。
 宗教を抜けろと、外部の人間が言うのは簡単です。でも、いざ入ってしまった人間は猛烈に不安なのでしょう。
 抜けたとして、幸せになれるかと。これは⑥とも関連しますね。
 たとえばそれまで、「支那人死ね、朝鮮人帰れ」とネット上で言い続けた人間がいるとして、その楽しみを奪われるのはすごく嫌だと思うんです。悪いことだとわかっていても、それをやめたら自分の楽しみがなくなってしまう。わかった、ヘイトスピーチはやめると言ってみても、そのあと別の形で今までみたいな楽しみを得られるかは、わかったものじゃない。
 だったら続けたほうがいい。ヘイトスピーチ教を、信仰していたい。
 そういう意識が働いても、何の不思議もないのです。
 
⑧ お手軽意識
 これは書くまでもないことですが、書くまでもないと言いつつこうしてぼくが書いているように、ネットはお手軽です。お手軽に①を、②を、③を、あるいは⑤を満たしうるわけです。ぼくがブログをやめられずにいるように、お手軽な楽しみをやめたくはないのです。



 もちろんこれらは、ネトウヨだけに認められるものではない。「パヨク」にも当てはまることでしょう。しかし、「日本」という国家、郷土、共同体の後ろ盾があればこそ、安心してその活動を続けられるというものです。
 自分は日本を愛している→そんな自分に反対するのは売国奴だ。
その図式を描いた瞬間、①~⑧が一気にその人の脳内を駆け巡り、指は次の一文字を打つためにキーボードを鳴らす。
 以上に述べたようなことが、ネトウヨにネトウヨを続けさせる大きな要因と思われます。

 ご指摘やご意見はありがたく頂戴するつもりでおりますが、日本人たるもの、くれぐれも人と話すときの良識を忘れませぬようご配慮願います。ネトウヨの人たちって下品だな、などと思いたくありません。ぼくはむしろ、ネトウヨの人からいろいろと意見を賜りたいなあと心から思っているところなのです。
 もしもコメント頂ける場合でも、もうひとつだけご注意願います。
 「おまえの言っていることはむしろ左翼に当てはまる」とか、「韓国に言ってやれ」的なものは一切求めていません。④のせいなのか、ネトウヨの人たちに見られがちな振る舞いとして、「話を相手のほうに逸らす」というのがあります。その手のコメントは求めていません。ぼくはネトウヨについて考えているので、それ以外の人たちを対象とするコメントはしなくてもいいです。と、まあ、そんなところであります。

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 最近、「ネトウヨ」について考えています。彼らはどのような思想を持っていて、どのような人間であるのか、考えているのです。自分の思考を整理する意味で、分析を試みたいと思います。と言って、ぼくにはネトウヨの知り合いがいるわけでもないし、仮にいたところでそれを一般化することもできない。定量的な調査をしたわけでもないため、ぼくがこれより述べるのはあくまで印象論に過ぎません。

 いや、あるいはぼくが考えたいのは、少し別のことかもしれない。「ネトウヨがどのような思想の人々か」ということより、「どうしてネトウヨはネトウヨになるのか」「どうしてネトウヨはネトウヨであり続けようと思うのか」についてのほうが、興味がある。その人がなぜ、ネトウヨ的なあり方に駆り立てられるのかを考えてみたいのです。

 さて、先ほどからネトウヨネトウヨと言っていますが、「その用語の定義は何なんだ」ということがよく言われるようです。万人が同意できるのは「ネット右翼の略称」ということでしょうが、その内実となると確かに難しい。そもそも右翼とは、なんてことを考え出すとそれだけでたいへんな作業だし、安倍政権を支持していればネトウヨということでもないし、中韓に批判的なことを書けばネトウヨというのも乱暴です。そもそも、「安倍政権を支持」と一口に言っても、それが経済政策への支持なのか、外交への支持なのか、積極的な消極的かなど、中身は一様ではないでしょう。この用語は実のところ、定義が難渋なのです。

 ただ、ネット上における特徴的な振る舞いから、その定義を試みることはできるかもしれません。たとえばツイッターにおいて、中国人や韓国人、在日外国人を罵倒する発言。それを繰り返す人々はネトウヨだと個人的には思います。中韓の政府を批判するのとは別に、「犯日支那人」とか「姦国人」などというように、あえて漢字をいじくったりまでして攻撃的な物言いをする人は、ネトウヨと言って差し支えない気がします。「パヨク」と言って左翼的言論・政治家を揶揄したり、「嫌韓・嫌中」をわざわざツイッターのプロフィールで表明したりする人も、ぼくが想定するネトウヨの人たちです。中国や韓国、北朝鮮での事件や不祥事のニュースを多くリツイートするのもネトウヨ的振る舞いと思われます。

 もっと言うと、ことさらに「日本が好き」「日本に生まれたことが誇り」などとプロフィールに書く人も、ぼくの想定するネトウヨです。ぼくはこの地球が好きだし、日本が好きだし、両親が好きですが、いちいちそれを書こうとは思わない。多くの人々もそうでしょう。それをわざわざ表明したくなる心性は、ネトウヨ的振る舞いのように見受けます。

 では、支持政党はどうでしょう。ネトウヨで民進党や共産党を支持している人はおそらく皆無で、支持するのはやはり自民党、ないしは日本のこころ、あるいはさらに右寄りの、今は議席を持っていない政党が対象となるでしょう。その中でも支持する政治家は安倍総理をはじめ、特に稲田防衛大臣や青山繁晴議員、片山さつき議員、高市早苗議員といったあたりでしょうか。彼や彼女たちをことさらに応援する発言、リツイートを繰り返す傾向が見られるように思います。そしてそういう人たちは同時に、民進党の辻本清美議員や有田芳生議員などに批判的な発言、リツイートを繰り返すこともあるのではないでしょうか。それをすればネトウヨだ、というわけではなく、ネトウヨの人にはよく見られる振る舞いであるという印象の話です。

 余談ですが、少し興味深い出来事があります。右派のネット局として有名な「チャンネル桜」。ここでは右派的な言論がメインでなされるわけですが、自民党の西田昌司議員への反応が面白いのです。西田議員は人気のコメンテーターだったようですが、あるときを境にYouTubeでの反応が「低評価」ばかりになった。それはいつかといえば、ぼくが記憶する限り、彼がヘイトスピーチ規制にまつわる法案成立に積極的に取り組んだ頃からです。彼は自民党の議員でありながら(少なくとも「チャンネル桜」の視聴者層には)批判的な姿勢をもって迎えられているようです。それが何を意味するかは、ここでは触れません。

 ネトウヨと思しき人々の興味としては、「ヘイトスピーチ規制」「生活保護の不正受給」「パチンコ」「朝鮮学校」「外国人参政権」などのトピックが他にも挙げられるでしょう。歴史問題もそうですね。慰安婦や南京、あるいは領土問題も重要ですし、憲法や靖國神社に関することも大いに関心を惹くところでしょう。むろん、天皇陛下にまつわることもあります。なにしろ話題は多岐に渡りますから、こういう発言をしたらネトウヨだと決めるのは難しい。そこがネトウヨの定義の難しさであろうと思います。

簡単な整理を試みます。

①中国や韓国や北朝鮮が嫌いである。その言動が気になる。
②自民党・日本のこころ・さらに右寄りの政党のいずれかを積極的に支持している。
③民進党や共産党が嫌いである。その党や議員の発言に批判的である。
④歴史認識問題、領土問題に関心があり、中韓の対応に反対する。
⑤保守とされる著名人を好ましく思う。

 以上のような姿勢をネット上で繰り返し発言したり、リツイートしたり、あるいはそれに反対する人々に意見をぶつけたりするのが、ネトウヨであろうと思われます。上の①~⑤のうち、いくつを満たしているかでネトウヨ度は変わるでしょうし、発言頻度の多さやリツイートの頻度なども度合いの要素になるように思います。たとえば③や④を満たすだけではネトウヨではないし、「韓国きらーい」と何気なく書き込んだからネトウヨというものでもない。その種の発言を繰り返したり、攻撃的な発言をぶつけたりするたび、ネトウヨ度は上がっていくでしょう。

 狭義のネトウヨとしては、「①~⑤をすべて満たし、なおかつそれをネット上で何度も、長期にわたり表明している人」ではないかと思います。

 はあ、長くなってしまった。ぼくが書きたいのはこんなことじゃなかったのです。
 これはあくまで準備。
 ぼくが考えたいのは、「ネトウヨはなぜネトウヨであり続けようとするか」のほう。
 次の記事に回しましょう。


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