『100000年後の安全』 マイケル・マドセン 2010

不可知だが左右しうる未来を見据えて。
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ponさんよりお薦めいただきました。どうもありがとうございました。

原題『Into Eternity』
 フィンランドにある放射性廃棄物処理施設とその関連人物に取材したドキュメンタリーです。今の世代が遠い未来にまで残すことになる放射性廃棄物、その安全をどのように「永続」させていけるのかを問うています。
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 この映画について語るとき、当然原発のことについて言及しなくてはいけなくなるのでしょうけれども、今ぼくが「原発について思うところを述べなさい」と言われたとしても、結局何も言えないですね、十分に知識もないですし。「原発」という単語ひとつ取っても、そこに付随する問題は政治的、経済的、社会的、エネルギー資源的その他多岐に渡りますし、危惧される福島原発からの放射能の影響についても現在、専門家の間でさえ統一的な見解を出せていない。ぼくに何かが語れようもないのですね。

 原発は是か非か、推進か脱原発かというのが世間で問われることですけれど、これについてもぼくは曖昧な態度を保持するしかないのです。もちろん、その危険性を考慮するならば原発はないほうがいいでしょう。そして長期的に考えれば、再生可能エネルギーを進めていくべきであろうとも思います。ただ、このような難しい問題について考えるとき、いつでもぼくは「人間万事、塞翁が馬」という言葉を浮かべてしまうのです。何が良きことで、何が悪しきことなのかはわからない。良かれと思ってなしたことが悪しき結果を招くかも知れないし、そのときは愚かしいと思われた判断が次の希望を生み出すのかも知れない。これはもう、本当にわからない。

 むろん、ぼくのようにわからぬわからぬと言っているだけでは何事も進みませんし、実際に活動を行っている人々はすごいなあと思います。ただ、今のぼくにはとてもじゃないけれど全体が見渡せない。どのスイッチを押したらどの部分が動くのか、社会のありようが複雑すぎて見えない。情報には敏感であろうとは思うけれど、すべての情報を集約してそこから総合的な論理を組み立てることはまったくできない。そうなると、言えることはとてもとても限られてくるのです。

 さて、前置きが長くなりましたが、本作もまた「不可知」であることを考えていくような映画であります。なにしろ本作には邦題にもあります通り、「100000年後」のことまでをも考えている人々が出てくるのです。
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 フィンランドにある、放射性廃棄物処理の地下施設「オンカロ」。ここは2100年の完成を目指して地下500メートルまでの建造が予定されており、その中に膨大な量の廃棄物を埋めていくことになっています。
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 完成の暁にはどうなるのか。最終的にその場所は完全に封印され、以後一切、人が立ち入れなくなるらしいのです。いわば禁じられた土地のごとくに、廃棄物を永久に地の底に眠らせるということなのです。
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 ただ、関係者の人たちはその先をも危惧します。100年、200年の単位ならばそれでいいとしても、たとえば10000年後にその場所を封印し続けていられるのかどうか。遥か遠い未来の「人類」、それこそ100000年後の「人類」にまで、その地下に禁忌の物質が埋められていると伝えられるのかどうか。そのことが映画では問われ続けます。
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 想像を絶するとはこのことであります。なにしろぼくたちは数年後の自分さえも想像できません。放射性物質がばらまかれた日本で、数年後どのような事態が巻き起こるのか、誰も断言できずにいるのです。未来に対して不可知であるぼくたちが100000年後のことを考えるなど、まったく不可能に近いのであります。
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 もちろんね、無責任に突き放すことはいちばんたやすいんです。そんな未来のことなんて知らない、と言い切ることは幼児にだってできる。人間という種が存在しているとは思えない、なんてことも言える。あるいは、そんな未来だったら、今の技術を克服して放射性廃棄物を無害化することができているかもしれない、300年後くらいにはできるかもしれないよ、なんてこれまた楽観論を言い放つこともできましょう。その頃にはまず間違いなく今いる誰もが死んでいるのですし、言いたい放題です。

 言いたい放題ということで言うのなら、この問題は「放射性廃棄物の無害化」あるいは、「医学の超飛躍的発展」がなされれば「一応の」解決を見ます。前者よりは後者のほうがまだ現実性があると言えるのでしょうか。たとえば、これはもうほとんど馬鹿みたいに単純な例ですけれども、癌が錠剤一つで解決できるような未来が来れば、ぼくたちの怯えは大きく緩和されます。癌のみならず、放射性物質の蓄積から引き起こされる身体的障害を完全に克服できるというのなら、廃棄物は少なくとも今ほど驚異的存在ではないわけです。

 何を馬鹿みたいな夢想を書いているのだ。恥ずかしくないのか。馬鹿だ馬鹿だとは聞いていたけれど、そんなことを書き連ねるほど馬鹿だとは思わなかった、豆腐の角に頭をぶつけて湯豆腐をつくれ、その湯豆腐を食い「これは酢豆腐」などと言って笑われろ、と思われるかも知れませんが(後半は思われない)、たとえばどうでしょう、癌の克服は難しいとしても、人工身体、それこそ攻殻機動隊の草薙素子のような「全身義体」なんてことがもしもありうるのなら、人間は病気を克服する必要さえもなくなります。義体技術の研究、人工臓器の研究などの発展如何によっては、放射能の恐怖から解き放たれる日が来るのかも知れない。21世紀は無理でも、22世紀には可能かも知れない。SF的な話ではありますが、これが今のぼくに想像できる、「一応の」解決がある世界です。もちろん、現実味があるなどとは思いませんが。

ただ、この映画では100000年後ですからね、もうそうなると想像はつきません。
 想像もできないのでどうしようもないじゃないか、ということになるのですが、それでは実りがないです。この映画から見つけられるのは、「不可知なものへの態度」の重要性です。
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 ぼくたちには未来を見通すことができません。予測はできたとしても、確定はできない。 さて、ところで、なぜぼくたちは未来を確定させることができないのでしょうか。
ふたつのことが言えます。
 ひとつには、ぼくたちは未来を経験したことがないからです。
 ふたつには、ぼくたちの社会は複雑すぎるからです。
 未来にまつわる予測が立つのは、ぼくたちが人の経験を聞いたり、歴史を学んだりしたことがあるからです。これまでの経験からこの先はこうなるだろうとか、こういう歴史があるからこのままではこういう風になるだろう、と一応の予測が立ちます。あるいは理論による予測もできるわけです。
 でも、確定はできません。
 社会は複雑なので、今までと同じように考えることはできないのです。今までならうまく行っていたことであっても、様々な要因が絡み合って変わりゆくために、いつまでも同じというわけにはいかないのです。

 100000年後の安全について考えるのは、実に途方もないことです。考えても仕方がない、と思えるくらいに想像を絶することです。でも、じゃあ、10年後のことは簡単に考えられるかというと、そうはいきません。社会は大変複雑なので、10年後に何がどうなっているかもわからないのです。極論に思えるかも知れませんが、あえて言うなら、100000年後だろうが、10年後だろうが、不可知であるという点でまったく同じなのです。
 もちろん、大きな違いは、10年後の未来は大体予測できるし、今の人間によって左右しうるということ。
一文にまとめるなら、「ぼくたちは10年後について不可知であるが、予測を立てて左右しうる」ということ。
不可知なのに左右しうるというのは大変なことです。であるならば、その不可知の度合いを軽減する必要があり、原発一つ取っても、いろんな側面から考えなくちゃいけないということです。
 原発推進にせよ脱原発にせよ、その論拠を示すときには、政治面から、経済面から、社会面から、安全面から、持続可能性の観点から、入り組んだ物事を解きほぐしていかねばならぬわけです。どれかひとつを切り取ってしまうのは、それこそとても危険です。
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 ぼくはこの映画を観て、未来は不可知であるけれども、だからこそ謙虚になって、左右しうる未来についてはできるだけいろいろな観点から考える必要があるんだ、ということを思ったのでした。なんだかそう書くと、通り一遍の言い方になってしまいますけれどね。
 まあ、ご覧になって観てくださいませ。
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by karasmoker | 2012-03-24 22:00 | ドキュメンタリー | Comments(4)
Commented by pon at 2012-03-26 13:31 x
おお、死んだかとおもいましたぜ、旦那!(笑)見て頂いたんですね、うれしいです。途中に流れるキューリー夫人の歌(?)がけっこう笑えたでしょ。ほうしゃのう〜♪あぶないよ〜♪みたいなの(笑)あえてすべてのインタビューシーンが、前面のテーブルや背景の窓や黒板等にカメラの水平を完璧に出しているところが、俺たちまじめにつくってるんだぜ〜感を強調した作りになっていると思いました。その辺にとても好感をもちました、取り上げていただいてありがとうございました。
Commented by karasmoker at 2012-03-26 23:17
コメントありがとうございます。
「100000年後を思う」という営みは普段の生活への認識を揺らがせてくれるのであり、それだけを取っても価値ある映画だと思いました。お薦めいただきありがとうございました。
Commented by urontei at 2012-03-31 09:44
人類が現在、採掘しているウランというものも、じつは、100000年前の人類が何らかの理由で埋めた“廃棄物”なのではないか。我々はそれを掘り返して再利用しているだけなんじゃないか…
なんて、ふと、そんな突拍子もない妄想をしてしまいました (^^;

我々が埋めた放射性廃棄物を、100000年後の人たちが、「いいものみつけた!」と言って掘り返し、その “お宝” を巡って、また戦争が起きて…
「人間のすることなんて、昔も今も、そう変わらないよ」 なんて、わかったようなコトをつぶやきたくなります (笑)
Commented by karasmoker at 2012-03-31 23:38
コメントありがとうございます。  100000年後、人類は存在するか? と考えたとき、仮説を立てることもうまくできませんね。「人類の寿命」は果たしてどれくらいなのかと考えるだけでも面白いです。そんなぼくは自分自身の寿命すらわからぬのですから、「わからないということ」は深遠であるなあと思います。
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