『イグジット・スルー・ザ・ギフトショップ』 バンクシー 2010

ものの良し悪しって何なのでしょうかね。
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 好事家の間で話題を生んだドキュメンタリー作品です。なかなか考えを揺らせる作品でありまして、よい映画でございました。

 バンクシーというのは正体不明のグラフィティアーティストでありまして、街角の壁にいろんなアートを描いている人です。政治的メッセージ性のある作品なども描いていて、世界的な注目を集めているようです。

 映画はバンクシー監督名義になっているのですが、少しややこしいのは、映画自体の始まりが彼ではない、ということです。最初はティエリーというカメラ好きのおっさんのハンディカムから始まって、彼がいろんなグラフィティアーティストの活動を追いかけるのです。バンクシー自身が出てくるのはずいぶんと後で、最初のほうはぜんぜん絡んでいないんです。このティエリーというおっさんの話でもある、というかそちらの話になっています。ティエリーというおっさんがバンクシーと接触したことで、バンクシー監督による作品が生まれた、そんな珍しい構造なんです。
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 本作を観て誰もが感ずることは、アートって何やねん、という問いでしょう。全編がこれをめぐるお話と言ってもいいんじゃないでしょうか。
 
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 グラフィティアーティストといって、まあ街角に勝手に描くわけです。違法行為だから見つからないように夜な夜なささっと描いて逃げたりするんですね。日本の街角でも変な落書きみたいなのが方々にあったりします。
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 それ自体がどうやねん、というのもありますね。知らない人の建物に勝手に描きまくって、それがアートなのだ、どうだ、と言われても、ぼくはそれを消す仕事をしている人のことを考えてしまったりもします。消すの大変だろうなあ、とかね。自分で描いて、自分で消していたらまだいいんですけど、言っちゃえば描きっぱなしですからね。穏やかな町並みの中に、手前勝手に表現活動されてもうっとうしいだけやで、みたいなのを感じる部分もあります。
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 うん、それはあるかなー。いや、バンクシーみたいにね、政治的な意見の表明としてやっている分には、意味があるというか、わかるんです。言論よりもわかりやすく人々に伝わるというのは間違いなくあるし。ただ、それを芸術表現だみたいにしているのを観ると、なんか違うんちゃうかな、という気もしてしまう。

 そもそもの話、ぼくはアート感度が大変低い人間であります。もし人にアートの話をされてもきついもんがあります。ただ、この映画はアートの中身うんぬんよりも、その外側。受け取る側に突きつけてくるものがあるので、とても刺激的です。芸大や美大の人とか、アート関連で飯を食おうという人は観ておくべき作品だと思います。

 バンクシーを追いかけていたおっさん、ティエリーですが、バンクシーから自分でアートをつくりなさいと言われます。これは別に彼に才能があると思ったからではなく、ティエリーが自分でつくった記録映画が、ぜんぜん駄目だったからなのです。バンクシーは、「自分の作品はすぐになくなってしまうし、映像として記録に残るのもよかろう。ティエリー、ちょうどいいからおまえの映像を編集して映画にしてよ」と言ったのですが、これがまるきりどうしようもないので、とりあえず彼にアート制作を勧めたようなものなのです。
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 ここからが面白くて、ティエリーは自分でいろいろ始めだして、大きな個展を開くぞ、という話になるんですけど、そのアートの中身はといえばどうにも無個性というか、自分の内側から生み出したものじゃねえじゃん、っていうかぱくったりとかしまくってんじゃん、みたいなものになっているのです。
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 ただ、これまた面白いのは、彼の個展は結構評価されるんです。勧めた責任上、バンクシーも名前を貸したりしており、彼の名前があるならということで人が集まって、作品が高値で買われるようになるのです。

 さあ、ここがこの映画の大変興味深いところですね。じゃあ、アートってのは何なのだね、という話です。本物のアートとか、偽物のアートとか、そんな言い方がそもそも何を指し示すものなのか。それがわからなくなるのです。
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 いや、アートに限りません。映画もそうだし、小説も、演劇も、音楽も、テレビ番組も、なんでもそうです。何をもってぼくたちは良し悪しの判断をしているのか。
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 いちばんわかりやすいのは数字ですね。数字が出るということはそれだけ多くの人に評価されているということでもあるし、だとするならそれはよい作品なんじゃないかと言える。でも、数字だけで表せるほど単純なものであるはずもない。
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 映画ブログですから映画産業でいうとわかりやすいでしょうね。テレビ局制作の映画が興収の上位を占めると。でも、多くの映画好きからすればそんなものは観るに値しないといわれる。でも、事実として多くの観客はそれを観て面白いと感じている。だったら、良し悪しって何なんだろうね、ということです。

 そのお金によって救われる人が出てきたらもっと事態は複雑です。劇中、アーティストとしてどうやねん、と思われるところの多いティエリーですが、事実彼は大金を手にしている。そのお金を、たとえばですよ、慈善事業に寄付していたりなんてことがあるとするなら、本物のアートうんぬんと言いつつも密かに闇夜街角でごちょごちょやっているだけの人よりも、ずっといいのかもしれない。この映画ではそういう描写はまったくないんですけど、そこを一カ所でもぽんと放り込んだら、観客の認識はもっと揺るがされることになったでしょう。

 アートは内発的に生みだされたものがすばらしいとか、独自のスタイルを確立してこそのものだとか、そういう言説というのは確かにそれらしく聞こえはする。ただ、どうなんでしょうね。受け取る側が満足しているならそれでいいじゃん、っていうか受け取る側に支持されるものがいいもんなんじゃないの? だって、おまえ一人がいくら自分の内面だの経験だのをごちょごちょ言ったってそれは結局おまえ自身のものに過ぎないしさ、そんなのよりみんなが楽しめるものを生み出していたらそれでいいんじゃねえの? という話にもなってくるんです。
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 この辺のことはぼく自身がずうっとずうっと考えていることでもある。
 ぼくは昔から人を笑わせるのが好きだったんです。一時は本気でお笑い芸人になろうと思ったこともあるし、今だってテレビの芸人を観ているともどかしさを感じたりする。でも、ここが微妙なところで、好きではあるけれど、得意かどうかというとぜんぜん話が違うんです。ぼくが面白いと思ったことが、人に伝わらなかったりするんです。逆に、ぼく自身はぜんぜん面白いと感じてなくて、まあこれくらいで人は笑うのかな、程度のことを言うと、むしろそちらがウケたりする。そのたびにぼくは感じる。周りが笑っているからそれはそれでいいんだけど、ぼくはぜんぜん面白くないんだよなと。そうなったとき、ぼくはどうしようもない気持ちになる。
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 そうなったら、ウケているほうが正しい、と思わざるを得ないんですね、その場では。でも、それはぜんぜんぼく自身の中からのものじゃなくて、むしろどこかの流行のギャグだのちょっと変な言い方だのをアレンジしたものに過ぎない。じゃあそれは、この映画で言うところの、本当のアートではないから駄目なのか。そうじゃないだろうと思うんです。
現に、それが受け入れられているから。だから辛いというのもある。

 話はまとまりようもありませんが、この映画はいろいろ問いかけてきます。じゃあオリジナリティって何やねん、とかね。最初のほうに出てくるスペースインベーダーのアーティストにしたって、インベーダーのあれってもともと日本のタイトーがつくったんちゃうんか、そしたらティエリーと何が違うねんとかね。バンクシーがグアンタナモの囚人の人形を置くくだりでも、あれがアートなのかえというのもあるし。

 話はアートに限ることなく、かなり広範囲にわたる話題を引き出す映画だと思います。 観た後に、内容から考えさせられることをいろいろと語らせたくさせます。
芸術関係の人とか、これから知人の個展やなんかに出かけようという人は、ぜひ観ておくとよいと思いますね。
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by karasmoker | 2012-10-29 00:00 | ドキュメンタリー | Comments(0)
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