『サニー 永遠の仲間たち』 カン・ヒョンチョル 2011

コメディとして本当によくできています。記憶をめぐる話としてはもったいなさも感じます。
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毎度、映画について四の五の言うておりますけれども、映画は観る者の成熟度を試すようなところがこれあるのでございます。ある映画を観たときに、面白いつまらないと各々に誰しも感ずるものでありますが、ある映画をつまらぬと感じた場合はその映画の責任というよりも、自分の見識、審美眼、観察眼の未熟さゆえということも、往々にしてあるのでございます。

 などと言って書き出すと、これからこの映画を悪く言う前振りになってしまいそうですが、必ずしもそうではありませんで、とても楽しめたのでございます。しかし、今のぼくよりももっと人生経験を積み、過去が光の中に消え、それが美しく輝き始めるような境地に達しておれば、もっともっと楽しめたであろうなあとは思います。ぼくよりも上の世代の人はきっともっとびしびし来るんじゃないか。80年代に原体験のある人はもっと地肌でわかるんじゃないか、なんてところも多いのでございます。
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 高校時代とおばさんになった現在を交互に描いていくコメディタッチの作品でありまして、軽快なテンポは実に愉快なものでありました。エンターテインメントとしてはとてもよくできているなあと思いますね。七人の仲間たちという設定、離ればなれになった仲間たちを探していくという設定はわかりやすいし。高校時代と現在とでぜんぜん顔が違うな、という配役事情的な部分についても、「整形」を表に出して乗り切る。韓国ならではであるなあと思います。
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全編にわたってテンポがよく、べたべたの部分もよくはまっています。漫画的に頬を赤らめるようなシーンも許せてしまうというか、ああ、そのトーンで行くのね、そっちのほうがいいねと思える。学生運動に巻き込まれたシーンの軽快さは白眉でありました。
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ずうっと楽しく観られるのですが、四分の三くらいが過ぎると、何か引っかかるものがあるなあと感じられてきて、それは何だろうと考えていたのですが、わかりました。うむ、ぼくからすると、「この作り手は屈折していないなあ」と見えたんですね、屈折。

自分がそうだったから、というのが一番大きい理由なのですが、青春期を描いた作品となったときに、ぼくは何らかの屈折を求めてしまうたちなのです。屈折という言葉がわかりにくければ、「思春期のもんもん」と言ってもいい。別に性的なものを意味しているのではなくて、もっとなんというか、自分というものに悩み始める部分とか、しかしそれを言語化できずにうろうろする様とか、社会の歪みとかが見えてくるけれどどうしようもない夜とか、社会なんてどうせこんなもんだと髙をくくってその結果痛い目にあってのたうち回る様とか、そういう部分に「青春」を見るたちなのです。主人公の兄ちゃんやシンナー少女のほうに気持ち的には近いのですね。だからね、「いやいや、青春は楽しかったよ」と言える人は、この映画が徹頭徹尾楽しいだろうと思いますね。それはとても幸福なことです。幸福な人が観るとより幸福になれる映画です。
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 でも、この辺も冒頭で述べた「自分の成熟度」と関わる話でね、長くなるからしませんけど、もっと大人になったらまた違うことを言えるだろうな、とは思うんですね、うむ。

まあコメディが主体ですからね、その辺をごにょごにょ言うのも違うんだろうなとは思いますが、観終えてちょっと経つと、自分とこの映画の間にある大きな溝が見えてきてしまう面はありますね。映画自体について言うと、記憶がわりとみんな一緒に共有できちゃうんだね、というのが気になるところでもありました。
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 あの頃はああだったよね、こうだったよね、という話をするときに、「いやいや、自分はあの頃実はこうだったんだぜ」というのがあると、もっと深まるのになあとは思ったんです。時間が経ってわかることというか、時間が経ってるからこそ語れること、そういうのがあまりないんじゃないか、というのは気にかかった。わっかりやすい話で言うと、同窓会で出会った男女が、「当時、実はおまえのことが好きだったんだぜー」「えー、ぜんぜん知らなかったー」的なことって、あるじゃないですか。当時としては秘めたる思いを口にできず、布団の上でのたうち回った日々なのに、今となればあっさり言えちゃうよね、ぼくたちも年をとったね、的な時代の彼我。そういうもんがね、深まらないんですね。過去という美しい箱の中はしっかりと安定している感じ。それはぼくの求めているものと違ったんです。あるにはあるんですけどね、ハンサムな好青年とのくだり。でも、そういうところはわりと記号的なんですね。
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コメディのテンポを保つ以上、負の側面を記号的に処理するのはわかるんです。たとえばあの、ハンサム青年とクールビューティ・スジの逢瀬を、主人公が発見してしまうところですね。なんであんな、『殺人の追憶』なら完全に殺されているであろう林の中を歩いているんだ、ということは、言ってはならないのですね。負の部分はディレクターズカット版で入っていると宇多丸さんが言っていましたが、そこを切るのもわかる。それくらい、コメディとしてはよくできているんで、うむ、これはこれでいいわけですね。
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しかしそうと知れた上で、あえて二点ほど申し述べると、あのクールビューティ・スジに関するところです。
 仲間たちが楽しい日々を過ごして、連帯感ばりばりなんです。でも、スジはいつでもすかしているというか、一人だけテンションが低いんです。こういうキャラ付けはいいんです。というか、この映画のキャラ付け自体には何の文句もなくて、とてもよいのです。
 ただね、キャラ先行のところが強いんです。平たく言うと、なんでスジがあの面々とつるんでいるのか、どうもわからないところがあるんです。一匹狼っぽいおまえが、なんであんなハイテンションガールズと一緒にいるのだ? と言いたくなります。電車の中でも一人離れているんです。すかしすぎなんです。『リンダリンダリンダ』の香椎由宇もすかしていたけれど、しっかりチームの一員でしたし。
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 だからね、あのキャラの場合は、「ああ、こいつはこいつで感情表現がうまくはないけれど、ここにいるのが楽しいんだなあ」というのがほしいわけです。そういうツンデレな部分がないと、どうもこいつの話が終盤で重みを帯びない。で、さらに言うと、もしもその設定で押すのなら、あのシンナー少女のくだりはちょっと違うんです。
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「普段は何も言わない、仲間っぽくもないやつだけど、こいつは誰よりもチームを愛しているんだなあ」感が必要なのです。そしてそのためには、あのシンナー少女を圧倒するとか、クールに追い詰めるとかじゃなくて、熱いところを見せなくちゃなんです。圧倒的に不利な状況、でもチームを守るために戦うんだ的な展開があってこそ、あの寡黙キャラはもっともっと活きるのです。そのほうが、一員である感が絶対もっと出るのです。美貌で押すより、そっちのほうがいいと思うんですよねえぼかあ。
 まあ、それは好みの問題なのかもしれませんがね、はい。

でねえ、うーん、ラストですね、はい。この映画はね、ラストでメンバーの一人が死んでしまうんです。でも、そのメンバーは大金持ちで、友人たちに多大な遺産を残しているんです。ここはね、別にいいんです。結局金でハッピーエンドかい! などと言って、わりとここを突く人もいるようなんですけど、それは別に構わない。うん、この多幸感のある映画であれば、しんみり終わるよりもあれでいい。あのラストだからこそ、ダンスが活きるんです。だからあれはあれでいいのです。

問題はその後です。なぜ、おばさんになったスジを映したのです!
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この映画はおばさんになった主人公が旧友たちを集めていく話なんですけど、一人だけ見つからない仲間がいて、それがかつてのクールビューティ・スジです。で、ずっと見つからなくて、本当の最後の最後に、やっと出てくる。仲間たちが再会! というラストですね。
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ここはねえ、スジを映さないほうがいいと思いませんか? 知らないおばさんなんですよ、言ってしまえば、観客にすれば。観客にとってのスジは、あの若かりしクールビューティなんです。だからぼくは終わる直前、ああ、これは出さないほうがいいな、と明確に思った。でも、結局出しちゃった。あれはね、きっと、主人公の笑みで終わっていいんです。
 ぼくが求めたのはこういうラストです。五人がダンスを踊る。スジが来ないまま終わるのかと観客は心配する。で、誰かが部屋に入ってきたのがわかる。しかし正体は映さないでおく。そのまま主人公の顔にパンする。主人公が笑う。観客はそこで、「あ、来たんだな」とわかる。エンドロール。

このほうがいいと思うんです。ここがこの映画で一番残念なところでした。
ワンカットのあるとないとで大違いです。というのはね、あそこで観客の想像に対して開いたまま終わると、そのまま観客はその感情を持ち帰れるんです。で、学校を卒業してから会っていない友人に、各々が思いを馳せることができると思う。あいつ会っていないけど、今どんな感じなんだろう、どんなおじさんおばさんになっているんだろうと、顔を想像できる。わかりますかね? スジの顔を映さないからこそ、現実の観客個々人の記憶を、揺らすことができたはずなんです。この「想像に対しての開かれ」。それをあのラストは供給し得た。なぜそれをやらなかったんだろうと思ってならない。

 映画はとても面白かった。反面、「あれ? この監督はこんなに記憶を揺らしうる題材を描いておいて、記憶というものにそれほど興味がないのかな? 思想がないのかな?」と思うところがあります。それが感じられれば、ぼくはこの映画を激賞していたかもしれないのですがね。

 結構書きましたね。この辺にしておきましょう。ちなみに、かつての友人たちが集まる作品で言うと、ぼくが好きなのはジブリの『海がきこえる』です。あの作品がまた、観たくなりました。そんな感じで、今日はこれまで。
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by karasmoker | 2013-01-23 00:00 | アジア | Comments(6)
Commented by 小野 at 2013-01-29 10:48 x
ラストについてはほんとうにおっしゃるとおりだ! と思います。なんで出しちゃったですかねえ。

DVDの表紙にもタイトルバックにも出ていなくてひた隠しにしているんだから、どうしても出したかったんだったらせめてイラストになってからでよかったんじゃないかと思いました。
それ以外はずきずきする思いを抱えながらも楽しく観ることができたので、返す返す残念です。

あと、ブログでこちらの記事を紹介させていただきました。事後報告で申し訳ありません。
映画評の再開、とてもうれしいです。
Commented by karasmoker at 2013-01-29 22:01
 コメントありがとうございます。
 ブログは無断リンク歓迎でございますので、どうぞお好きになさって頂ければと思います。再開と言っても結構間があいたりはするので、気長にお付き合い頂ければありがたいのであります。
 ラストはどうしてスジを出したのか、監督の言が気になるところではありますね。あれは本当に監督一人の判断に委ねられている部分でしょうから。
Commented by クレ神 at 2013-02-09 11:01 x
この映画、僕はピンときませんでした。それは多分、”あの頃”との距離感なんですよね。まさに、あの頃の自分をなでなでできるかで違ってくるんだと思います。それに、管理人さんの言ってるようにですね、そのー、健全すぎる、というか、泥臭くない、というか、まあ、失恋などの暗いイメージはあるんですが、心を掴まれる所まではいかなかった。ただ毎度ながら韓国映画の配役はいい!特に主演の子は素晴らしいなあ、と思いました。そして、ラストに一瞬映る、昔と変わらない美貌のスジ。実は、このスジ役の人は80年代に、韓国で人気だったモデルのユンジョンという方で、その後は結婚し、細々と仕事は続けていたが、世間からは忘れられた存在だったみたいです。だから、ラストの顔見せには一応の意味があるようです。まあでも、管理人さんのラスト案の方がいいかなぁ。
Commented by karasmoker at 2013-02-09 21:28
コメントありがとうございます。
考えてみるに本作がいちばんびりびり来る人というのは、「80年代的文物の中で青春期を迎えた韓国人女性」ですので、ぴんと来ぬのも無理からぬことかもなあと思いますね。
 スジへの補足をありがとうございます。なるほど、そういう女優さんのことをわかって観てみると違うのかもしれません。韓国人のおばさんにとっては、おおお、と思わされる演出であったのでしょうね。
Commented by nowhereman at 2013-09-22 10:38 x
この映画で、現代パートと高校生時代パートがクロスオーバーするシーンが二カ所だけあります。
ひとつは、失恋した高校時代のナミと、失恋相手に会ってきた現代のナミが出会うところ。
もうひとつが、最後でみんなが笑うところですね。絵に描かれたチュナまで高校時代に戻っています。私はこの二カ所が好きです。
管理人さんのラストにすると、そこが消えてしまいます。ですから、私的にはとても悲しいです。

し か し !

悲しいですが、たしかに、そのラストはすごくいいです。イメージしながら考えてみましたが、絶対に管理人さんのラストのほうがいいです。
そのラストだと、たとえば、後付けで、スジがシンナー少女のソンミと一緒にやって来たと想像できたりもします。なんというか、開かれている感じがしますね。これは絶対に正解だと思います。
Commented by nowhereman at 2013-09-22 10:40 x
ただ、ひとつ言えば、スジのツンデレ部分は、昔のビデオの中でポーズを取るところと、屋台でナミと飲むところで出ていると思いました。それでも、彼女だけ一度も笑っていない。
それが、最後に笑顔を初めて見せる。ツン:デレ=99:1みたいなところが、私としては感動的だった。
そう言いながらも、やはり、ラストは管理人さんの案が正解だと思います。もういっそ、あのエンドロールのイラストも不要だと思えてきました。
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