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『ペパーミント・キャンディー』 イ・チャンドン 1999

これはちょっとやそっとの映画じゃないです。
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世田谷の男さんよりオーダーいただきました。ありがとうございました。




 『オアシス』『シークレット・サンシャイン』などの傑作をつくりだしたイ・チャンドン監督の作品です。この二作はこちら側の認識を揺らしてくるすばらしい映画でしたが、本作もまた実に不思議な映画体験をさせてくる代物でありました。こういう感覚を得たのは過去、ほとんど記憶にありません。

 主人公は『オアシス』のソル・ギョングですが、しばらくの間気づきませんでした。この映画は断章を繰り返し、そのたび過去へと戻っていくという構成なのですが、年齢の経過が微妙に移り変わる様はとてもよく描かれていました。『オアシス』のヒロイン、ムン・ソリが本作でも恋人役として出てきます。
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 正直な話をすると、観ている間、ずっとつまらなかったんです。途中で観るのをやめたくなったし、オーダー作品でなければやめていたかもしれない。半ば義務感で観続けていたのですが、いやあ、これがねえ、終盤に来るとそうじゃなくなったんですね。こういう体験というのは滅多にないです。ここでも再三述べているように、映画ってノレるかノレないかが非常に大きい。そしてぼくは途中までまったくノレなかった。でも、終盤になるとその印象が書き換わる。これはねえ、特異な体験をさせてもらいました。
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最初のシーンでの主人公は中年のおっさんになっているのですが、章ごとに時代がどんどん遡っていきます。映画に限らず物語全般において、登場人物の過去を描くというのはとても一般的な手法です。ではなぜ作り手は過去を描きたがるのか。といえばひとえに、その人物がどうしてそういう人間になったのか、あるいはどういう事情があるのかを説明したいからです。よくあるのは回想シーンというやつですね。
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 一般的に言って、過去を描く手法には長所と短所があります。
 長所は謎解きの面白さがあることです。本作においても、主人公は序盤、没落したような状態に陥っている。観客はどうして没落したのだろうかと不思議に思い、その謎は過去を描いた場面によって解かれていく。なるほど、と腑に落ちる感覚を与えることができます。
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 では、短所は何か。
 過去のシーンには、サスペンス性が致命的にないということです。
 過去のシーンで主人公が危険な状況に遭遇しても、観客はハラハラしません。なぜなら、それが過去だからです。現在の場面ならば、生きるか死ぬかのサスペンスが緊迫感を持ちますけれども、過去となるとそうはいかない。「どうせこの主人公は生き残る、だって現在の場面で生きているもの」と思ってしまうわけですね。要はゴールが見えているわけで、そうなると物語の旨味というのは大きく減じてしまいます。 
 
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 ぼくは観ながら、そこが引っかかり続けていました。どうなってもすべて過去じゃないかって。この先どうなるのかという楽しみがないじゃないかって。この映画は2時間10分ほどあって、うわあ、長いなあと思いながら観ていたんです。
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 時代はどんどん遡っていき、主人公がかつて会社を経営していたこととか、幸福な家庭を築いていたこととか、もともとは警察にいたこととかが描かれます。およそ二十年の時間が戻り、軍隊生活の出来事なども描かれ、最後は大学生時代の河原でのピクニックシーンに繋がる。冒頭も同じような場面にしてあって、これが繋がっているわけですね。

 ぼくは述べたとおり、この映画のほとんどすべての時間が退屈でした。ところが、最後に大学時代が描かれたのを観て、印象がものの見事に反転させられました。なんか、うわあって思ったんです。うまく言語化できない感覚に見舞われたんですね。大学生の頃って、自分自身を振り返っても、何もかもが光輝いて見えていたし、この先どんな出会いが待っているんだろうって心躍ったりもした。でも、分別もついて年をとり、出会いと別れを繰り返していく中で、そういう感覚は間違いなく摩耗している。
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 うーん、違うな、そういうことが言いたいんじゃない。ぼくがわああと思ったのは、河原でのピクニックに紛れて輪を囲んでいる主人公の、何とも言えない切なげな顔を見たときでありまして、あの様を目にしたときぼくはまるで我が事のように感じてしまったのですね。あんな感じであんな風に同輩の輪に紛れていた時代が俺にもあって、そうだ、あのときの俺だ、ああ、こいつはまるで俺じゃないか! というような、なんかそんな、何とも言えないシンクロを感知したのです。
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 その瞬間、オセロの反転のごとく、見方ががわりと変わりました。
 構成としてはきわめてシンプルですが、イ・チャンドンには今回も認識を揺らされました。普通の映画というのは、時間軸が過去から現在ですから、いわばぼくたちの身体感覚に合うんですね。何の違和感もなく受け入れられる。しかしこの映画はそれを逆にしているので、過去が現在へと近づいていく。過去が現在になっていく。過去の出来事が、まさしく現在の出来事のごとくにフラッシュバックする。痛々しく、たまらなく痛々しく。

 わかりますかね。うまく言葉にできないんです。この感覚をうまく表現できないのがどうにももどかしいです。
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 頑張って探ってみると、こういうことです。普通の物語、普通の時間軸構成だと、「未来が無限」であるように思えるんですね。未来がどうなるかわからないため、図形的に言えば「過去<未来」になる(つまりは過去の口が開いて、大きな未来に向かっていくということ)。しかし、本作は過去へと遡っていくため、「現在<過去」になってしまい、「過去が無限」であるように思える。あんなこともあった、こんなこともあった、という事実を描きながら、「そうでなかった可能性」を無数に探ってしまう。「ぼくたちには無限の未来がある」というのが普通の心地いい表現だとするなら、本作は「ぼくたちには無限の過去があった」という形になっている。だからこそ、大きなリグレットが生まれる。
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 うーん、どうにも難しい。整理しきれない。
 でも、ぼくはここに映画の神髄というものを感じるのです。言語化できるような感覚ではないものを、与えてもらったと思うのです。
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 総じて言いまするに、これはちょっとやそっとの映画じゃないなと思います。
 少なくとも、ぼくはこんな映画体験を過去にしたことがない。
 手触りで言うと、アレハンドロ・ゴンサレス・イニャリトゥの『21グラム』が近いかなと思いますが、あれよりも鮮烈なものを感じました。最近のものでいうと『ブルー・バレンタイン』なんかもリグレットの問題に踏み込んでいると思うのですが、こちらのほうが圧倒的です。
 監督はインタビューで「若い人に観てほしい」と言っていましたが、これは若いうちに観てもぴんと来ないんじゃないかと思います。記憶の蓄積が充分ではないからです。と言いつつ、ぼくもまだ年をとりますので、ぼくよりも年配の人が観たらさらにぐうっと来るでしょうし、もっと年をとってから観たらさらに違う印象を受けるかもしれません。

 不思議な体験をさせていただきました。それにしても本作のようなものをオーダーなさってくれるとは、なんというか、変な言い方ですが、世田谷の男さん、お目が高い! 

by karasmoker | 2015-06-18 00:00 | アジア | Comments(2)
Commented by 世田谷の男 at 2015-07-07 14:23 x
すばらしいレビューありがとうございました。なかなか難しい映画なんですが、思い出したようになんども見たくなる映画なんですよねえ。かさねがさねありがとうございました。またご縁があれば宜しくお願いいたします。
Commented by karasmoker at 2015-07-08 00:24
コメントありがとうございます。
これは、深いですね。
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