「HINOMARU」の歌詞騒動について

 ご多分に漏れず、ぼくも年を経るにつれ、いわゆる「最近のJ―POPシーン」なるものにまったく疎くなっており、ラッドウィンプスさんとはどういう人たちなのか、そもそもその読み方で正しいのか、『君の名は』の主題歌を歌ったんだかどうだったかくらいの認識しか持っていなかったのですけれども、今回はなにやらかまびすしい一騒動があったらしく、愚見を述べざるを得ないなあと思う次第であります。

この曲について数日前からTLなどでがやがやと評判ないし悪評が目につくようになり、どういう類のあれなのかと歌詞サイトでチェックしてみたのですが、正直なところぼく自身は別段拒否反応を引き起こさなかったというか、ああ、最近の若い歌い手さんが頑張って書いたんだねえと目を細めて失笑するくらいにしか感じなかった一方、なるほど世間的には確かにアレルギー反応をもたらしうる文面だなあとは思います。

 歌詞の巧拙はまったく横に置くとして、あの歌詞を世に出したいと思うこと自体、ぼくはなんら否定しません。遊就館にでも出向いて、なんかちょっとかぶれちゃったんだろうねえとは思いますが、内容それ自体を取って糾弾する側に立とうとは思わない。少なくとも、今回に関しては。

 ただ、話題になったあとの作詞者による反応というか弁解というか、その辺がまったくもって頂けない。実にださい。その辺りについて、ちゃんと書いておかねばなりません。

 作詞をした野田さんという人はネット上の弁明において、このように仰っている。
「純粋に何の思想的な意味も、右も左もなく、この国のことを歌いたいと思いました。」

 歌詞自体にはぴくぴくしなかったぼくですけれど、この「右も左もなく」みたいなフレーズを吐いてしまう点については、かなりイラッとしたのであります。ああ、現在のJ―POPシーンを彩る寵児が、その程度のバカなのかと。

 ネットで政治的な発言をするアカウントの中には、「右でも左でもありません」的なことを表明している連中がいるんですけれど、こういうやつは端的に言ってバカです。

 そもそもこの右と左という概念について言えば、「俺は右だ」「私は左だ」などと言いきれるものではないのです。まして、右でも左でもないということ自体、政治的言明としてはまるであり得ない。ここでひとつ断言しておきたいのですが、「右でも左でもない」などとわざわざ言うやつは、「自分は政治についてまともに考えたことのないパープーだ」と述べているに等しいのです。

 至極当たり前のことですが、ぼくたちは右手、左手、右足、手足を使って生活しています。それは右脳、左脳のはたらきによるものであり、たとえばこれを読んでいるあなたは今、右脳によって画面と空間を認識し、左脳によって単語や文法を理解しているのです。この当たり前の身体的事実を政治的思考に投影できないからこそ、「右でも左でもない」みたいな頭の悪いことを言い出すのであって、この時点で何も考えていないのがはっきりとわかります。

ぼくたちの政治的立場はおおよその場合、「右でもあり左でもある」のです。日本社会の伝統や風習を保守しようという感覚もある一方で、今よりも改善していくべきだという点も随所に見つかる。その思考形態がすなわち、「右でもあり左でもある」ということです。エヴァンゲリオンの赤木リツコ風に言えば、「ホメオスタシスとトランジスタス」の両方があるわけで(トランジスタスは架空の語ですが)、どちらかだけなんて普通じゃない。そして、左右どちらでもないなんてあり得ない。

 世界史で捉えるなら、18世紀にフランス革命が起こり、そこで右翼と左翼の概念が生まれた。その後、革命の動乱期を経てナポレオンが登場し、ナショナリズムという概念もこの世界に生じた。19世紀にはイギリスの産業革命による資本家と労働者の格差拡大が顕著になり、マルクスが社会主義を唱え、共産主義という革新的思想=「左」の旗印として世に出でた。その先の20世紀でロシア革命が起こり、大日本帝国は消え去り、冷戦の時代を経て、日本では戦後民主主義が続く21世紀にいたるわけです。

 要するに、現代に生きるぼくたちはいわば、右と左の申し子なのです。左右両方の思想の上にぼくたちはいる。であればこそ、右でもあり左でもあるという両面性は自明なことであり、多少なりとも国家や社会や政治について考えたことがあるのなら、右でも左でもないという態度は決してあり得ない。

 その点において、ぼくは野田さんという作詞者に対してひどい落胆を覚えました。
 ああ、何も考えてないんだ、と。いや正直、右翼なら右翼でぜんぜんいい。軍歌的な歌なら軍歌的な歌としてかまわない。でも、そこにすら到達していない。

あまつさえ、そのあとに彼はなんだかよくわからないまま、「謝罪」をしているようなのです。「傷ついた人達、すみませんでした」などとほざいていらっしゃる。

どういうことなのか?
「この身体に流れゆくは 気高き御国の御霊」じゃないのか?
「僕らの燃ゆる御霊は 挫けなどしない」んじゃなかったのか?
 それともまさか何の覚悟もないままに、「御国の御霊」などと軽々しく口にしたのか?

 ぼくに言わせりゃ、その薄っぺらさが国辱的で、反日的だよ。
 ちょっと騒がれたからってしおしお謝罪するというあまりにも気高くない態度を取りながら、御国の御霊がどうだのとさも勇ましげな歌詞を綴ってるその振る舞いは、日本というこの国をおまえのファッションと小銭稼ぎとオナニーのネタに用いたのと同義であって、甚だしく国辱的なんだよ。この一件について、またパヨクが怒ってるよ~みたいに捉えてるネトウヨどもはまったく事態を理解できていないのであって、この野田なんちゃらという作詞家が一番の反日じゃないか。ネトウヨは怒るべきだろう? その程度で御国がどうちゃら言ってるんじゃねえって、怒らないのか? なぜそんなこともわからない? わからないだろうな。ネトウヨが見てるのはただパヨクだけだ。日本のことなんか何も考えちゃいない。

 だいぶ荒ぶってしまいましたが、ぼくはこの手の、「さも日本を愛してますみたいなフリしてその実何も考えてない」連中が大嫌いなのですね。それ自体が、国辱的だから。

 もう一度強調しておきますが、ぼくたちは「右でもあり左でもある」のです。
 左右の歴史を踏まえた上でここにいる、と自覚すること。それが右としてのあり方であり、従来の左右対立をなおも乗り越えようと考えることが左なのです。その自覚を持たない政治的言説には、何の価値もないのであります。

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by karasmoker | 2018-06-12 20:27 | 社会 | Comments(0)
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