『全員死刑』 小林勇樹 2017

面白い。あるいは抵抗感。
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 2004年9月に福岡県大牟田市で起きた殺人事件。それを取り上げた鈴木智彦氏のノンフィクション、『我が一家全員死刑』を原作とする作品です。小林勇樹氏の作品で、公開時に27歳という若手監督です。

 実在の出来事が題材という点では、前回取り上げた『否定と肯定』に通じます。しかし、描き方は真逆です。脚色をちりばめ、才気煥発の言葉そのままに、エネルギー漲る作品となっています。
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 クラシックとエロスを混ぜ合わせた冒頭シーンは園子温を彷彿とさせ、その直後に痛々しく無様な暴力シーンをかませる。舞台を静岡に置き換えたそうで、シーンの中で交わされる会話は方言ばりばりの粗野なやりとり。掴みとして十分なインパクトを与えます。
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 この映画はやりたい放題やるぜ! という宣言も高らかに、その後に続くシークエンスで主人公一家の様子を描きつつ、冒頭25分というタイミングで最初の殺人にいたるところなどは、脚本術の王道をしっかりとなぞっている。ただの乱暴な映画ではなく、きちんと計算している周到さも好ましいところです。
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 登場するのは軒並みDQNな連中であり、風景の切り取り方も相まって、90年代的な風合いも漂います。間宮祥太朗演ずる主人公もさりながら、その彼女の存在感もぼくは好きでした。清水葉月さんという女優なのですが、「蒼井優マークⅡ」というフレーズがぱっと思い浮かび、ぼくの頭の中を巡っていました。観てもらえばわかってもらえるでしょう。この蒼井優マークⅡがまたいいのです。見た目には小綺麗な感じなんですが、言動はしっかりとDQNであり、ああ、土着の女だなあと思わせてくれる。小人症の男性を雑に扱う点も含め、余計なポリコレに気をとられてない感じは、若い作り手ながら嫉妬を抱かされるものであります。
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 一人一人の顔立ちが適切だなあとも思いました。六平直政はもとより、毎熊克哉さんという俳優はいかにも地方のワルにいそうな感じです。監督につくりたいものが明確にあって、その空気感を的確に醸している。ぼくは現在、東京の中でも都会に位置する場所で暮らしていますが、ここに住んでいてはわからない地方の雰囲気が伝わってくるんです。ああ、日本にはまだまだこのような乾いた街が山ほどあるのだろうなあと確かに思わされる。地方を描くということなら、2000年代以降はとりわけアニメの世界で花開き、数々の「聖地巡礼」ブームなどを巻き起こしたものですが、それとはまったく別種の乾いた風景。地方都市が持つひとつのどうしようもなさ。そんなものが随所に垣間見られ、映画として非常に強いものを感じます。
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 映画好きの人たちも多く絶賛しているようであり、それは確かにわかる。エネルギッシュな作品として確立されており、才気漲る若手監督ということなら、80年代の石井聰互をも想起させる。放埒な悪魔たちを描いた映画なら『マーダーライドショー2』と併映して、悪に酔い痴れる快感に溺れてもいいでしょう。

と、映画として絶賛を惜しむものではないのですが、やっぱりぼくはどうしてもまじめっこちゃんになってしまうのです。なってしまう部分があるのです。

 とかく現代ニッポンにおきましては、「道徳的横槍」が方々に乱立します。ちょっと尖ったCMがあれば「差別的だ」といい、ブログに写真をアップしたタレントがあればその画像を見て「違法ではないか」といい、ツイッターで楽しいことを呟いた人があれば「不謹慎だ、楽しめない人のことを考えろ」と横槍をぶっさす。そういうものにわたしはなりたく、ないのですけれども、それでもなおこの映画についてどうしても引っかかってしまった。

 発生から15年も経っていない実在の事件であって、被害者の遺族は果たしてどのような気持ちなのだろうなと、その思いを拭えないのですね。監督が遺族とどのようなコミュニケーションを取ったのかわからないし、遺族としてまったく問題ないと言っているのならぼくがあれこれ言うのは余計の極みなのでしょうが、どうにも主人公たちが魅力的に映っていて、どうにも殺される側が滑稽というか、軽い。
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 たとえば最初に殺される青年は、アホみたいなユーチューバーなんですね。ありがちなバカ企画をやって盛り上がっているうちに襲われるんですが、この脚色にどうしてもざわざわしてしまった。あいにく原作のノンフィクションを未読なので、被害者の人となりなどはわからないのですが、あんな風に軽い存在なのでしょうかね。鳥居みゆき演じた被害者女性もそうで、あれだけ見ると人生に何の重みもないアッパラパーの成金なんです。被害者がどういう人かわからない。殺されても仕方のないくらいに悪辣な人だったのかもぼくにはわからない。でも、わからないからこそ不安になる。これを面白いと言ってもいいものだろうか。
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 最後に殺されるのはどうもゲイっぽい青年なのですが、そこはどの程度真実なのか。仮に本当にゲイだったとして、あのような描写を青年の遺族や知り合いが観たとき、納得するものなのだろうか。少なくとも、あの青年はあの場に居合わせただけであり、犯人たちに殺されるべき理由は何一つない。にもかかわらず、あのような描き方でいいのか。
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 原作者の鈴木氏は、「死者への敬意を欠いていないか」と監督に指摘したそうですが、監督は「観る側が気にする必要はない」と割り切っているようです。確かにそうなのかもしれない。ただ、この映画を面白く感じ、あの主人公たちに魅力を感じたとき、実際の殺人事件をぼくは(たとえちょっとであっても)肯定してしまうのではないか。気にする必要はないと言われても、それを決めるのは果たして監督なのか?

 それを言い出したら戦争映画も駄目だし、架空であっても殺人事件や犯罪者を描いたものはダメじゃないか。

 うん、そうかもしれない。ただその言い分が正しいとしても、だからこの作品も問題ないと言い切ることが、ぼくにはできない。
 
これってわりとナイーブな問題だと思うんですけど、世間に数多いると思われる「道徳自警団」(古谷経衡氏の造語)は、何も反応していないんですかね、よくわかりませんけど。CMとかタレントにはかみつくのに。映画だからいいの? でも、反日映画ならネトウヨは怒るよね?

 いや、ぼくはこの映画を否定したいわけではない。前半で申し上げた通り、映画的な出来はとてもいい。ただその分だけ、この映画に対する葛藤もせり上がってくるのです。

 さて、あなたはいかがでありましょうか。


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by karasmoker | 2018-09-16 06:42 | 邦画 | Comments(0)
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